吃音の著名人語録

 こうして挙げてみると、たくさんのどもる人が、それぞれに、どもりと向き合い、自分なりに生きていることが分かります。吃音を持ちながらどう生きるか、僕たちがこれからどう生きていくかに、参考になることでしょう。そんな人たちが、自分の吃音について語っています。引き続き、青名秀人さんの大阪吃音教室の講座の続きを紹介します。

メディアに載っている吃音の著名人語録
・以下いずれも原文のまま。
新 田中角栄 木の実ナナ_0001*田中角栄(元首相) 自伝『わたくしの少年時代』 1973年 講談社
『どもりとは、まったくきみょうなものだ。ねごとや、歌をうたうときや、妹や、目下の人と話すときにはどもらない。まして、かっているいぬやうまに話しかけるときは、ぜったいどもらない。が、目上の人と話すとき、ふしぎにどもる。緊張したり、せきこむと、ますますひどくなる。いくらどもりをなおす本を読んでもだめなもので、自分はどもりでないと、自分にいいきかせて自信をもつことがたいせつなのだ』

新 田中角栄 木の実ナナ_0002*木の実ナナ(女優) 『下町のショーガール』 1986年 主婦と生活社
 『今も私は、ときどきどもります。でも、いまはどもりがいやだとは思いません。そりゃ、私だって女優ですから、歯切れのよい言葉で朗々と話したり、セリフを言ったりしたいものだと思わないことはありません。けれども、私はどもりだったために、人一倍悩んだり苦しんだり、また稽古もしました。そして、だからこそ、山田監督とも心に残るおつきあいができたんです。そう思うと、まさに「欠点があってよかったんじゃないか」で、いつしかどもりに感謝さえしているのです。そして、私にどもりをうつした叔父にも』

*三遊亭圓歌(落語家) 『これが圓歌の道標』 1998年 東京新聞出版局
 『……当時は、今みたいに拡声器なんかなかったので、駅員がホームに立ってて、電車が来ると、メガホンで、「新大久保!」って大きな声で言うんです。私と行っていた連中はみんなうまく言えるんですが、私は言えないんです。「し、し、し、し、新大久保」って言って目をあけると、電車ははるか彼方に行っちまって……。こりゃ、人がいるところじゃだめてんで今度は小荷物の係。……それにしても、吃音で世の中うまく生きていきにくいって思わせられましたね。私が吃音矯正の目的もあって落語界に入ったについては、このときのことなんかも心のどこかに焼きついていたのかもしれません』

*小倉智昭(ニュースキャスター)『私もサラリーマンだった!』 1995年マガジンハウス
 『ただし、話すときはつねに「自分はドモリなんだ」と意識して、適度な緊張感を持ってコントロールしていないとダメ。気を抜いているとき、たとえば家族との日常会話は相変わらずドモる。外面との落差を家族は不思議に思っていたようですね。まあそんなふうに、自分から進んで困難に立ち向かって克服していくのが好きな性格なんで、だからこそアナウンサーを目指したんですよ。アナウンサー試験を受けるにあたって、家族には断固反対されました。「おまえのドモリは完治しないんだから、無理だよ。あきらめなさい」』

*真経伸彦(作家) 『林檎の下の顔』 1974年 筑摩書房
 (文中の"彼"とは本人のこと)
 『講演に失敗して、失望し欄笑する聴衆の気配を背後に感じながら演壇をひきさがるとき、彼はとんだデモステネスだと自嘲することがあった。彼は古代ギリシャの雄弁家の名を、吃音矯正学院へ通いはじめた小学三年生のころから知っていた。矯正学院の教科書には吃る子供らをはげますために、毎日のように海辺へおもむき、小石を口にふくんで演説の練習をつづけて吃音を克服したデモステネスの逸話が載っていた。彼はそれ以上にデモステネスの伝記を知らず、知りたくもなかったが、この雄弁家の内心には語るべきこと、告知するべき独自のことが満ちあふれていたにちがいないと思われた。是非とも語らねばならぬという内からの衝迫が、吃音をも克服させたのだろう。彼の内心に、是非とも語らねばならぬことがあるのだろうか?』

*井上ひさし(作家)『パロディ志願 エッセイ集1』 1979年 中央公論社
 『……ドモリはなぜ起こるかといいますと、自分を中心に世界は回っちゃいない、他人を中心にして世界は回っていると思い込む人がいちばんかかりやすようです。つまり、相手がいれば、その相手を中心にして廻り舞台のようなものが回っている。その相手と話し合うときには、相手の廻り舞台にピョンと飛び乗らなくてはならない。しかし、自分は果たして相手を中心にして回っているこの廻り舞台に飛び乗れるだろうか。と、こんなことをしょっちゅう考えている。もっと砕いて言いますと、吃音症者は、こう言ったら笑われるだろうかとか、もし自分がどもったら軽蔑されるだろうとか、あるいは自分がどもると相手が気にするんじゃないかとか、こっちがどもると相手の人が困っちゃうんじゃないかとか、相手のことばかり考えてしまうんです。……』

*間直之助(動物学者) 『サルになった男』 1972年 雷鳥社
 『実のところ、私は小学校に入学してまもないころ、どもりをまねて本もののどもりになり、以来、半世紀以上もの間、このことから劣等感に悩まされつづけてきた。言語障害である。そしてこのことは、図らずも言霊(ことだま)の人間社会から言葉なき動物の世界へと、知らず知らずのうちに私を追いやる原因となった。……人間社会では最大のコンプレックスの種だった短所が、動物の世界での対話では、最大の武器であることに気がついたのである。私とサル、私と動物とを結びつけてくれた最初のきずなが、言語障害だったのだ。だから今では、このような生き方を少しも悔やむことはないと悟った』

*江崎玲於奈(物理学者) 『私の履歴書』 2007年1月 日本経済新聞
 『……1927年8月、私は二歳と五ケ月で全く覚えてないが、淡路島の南に位置する沼島という小さな島に滞在して夏の海辺を楽しんでいた。ところが逗留していた家に五歳ぐらいの悪さをする女の子がおり、たまたま縁側にいた私を後ろから突き落としたというのである。母が急いで私を抱き上げたが声が出ず、しばらくしてやっと口をきいたはよいが、ひどく吃り、それが急には直らなかったという。母の意見としては、これが小学校の生活を始めて再燃したというのである。腹式呼吸とか、さまざまの治療を試みたがほとんど役立たなかった。私は早くから自分はサイエンスの研究に適した人間ではないかと思っていたが、それは人とあまり話さなくてもよいという条件にもかなっていたからである。従って、私の場合、吃りはノーベル賞にはひょっとするとプラスに働いたかもしれない』

 世界的な作曲家の武満徹は本人は吃音ではないが、そのエッセイ選、『吃音宣言、どもりのマニュフェスト』の中で、「親しい友人であるすばらしい二人の吃音家、羽仁進、大江健三郎に心からの敬意をもって」とエールを送り、吃音礼賛の文章を書いている。
 「……べートーヴェンの第五が感動的なのは、運命が扉をたたくあの主題が、素晴らしく吃っているからなのだ。ダ・ダ・ダ・ダーン。………ダ・ダ・ダ・ダーン。」どもる自分を否定的にとらえて生きるか、あるいは肯定的にとらえて生きるか。さて、あなたは。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/6/23