『人生劇場』の小説家・尾崎士郎さんは、どもりは得だと言った

 1996年10月25日の大阪吃音教室の講座の続きを紹介します。

 
それと、おもしろいのがあります。どもりは得やと言った人がいます。宇野千代という作家、知ってますか。90何歳で、つい先だって亡くなった人です。彼女はすごく自由奔放な人でした。札幌で主婦をしていたんですが、小説を書きたいと思って書いて、それを文芸春秋かどこかに投稿したら入選したんです。賞金をもらいに札幌から東京に出てきて、賞金をもらったらすぐに札幌に帰るつもりだったから、洗い物もそのままで東京に来た。そしたら、文芸春秋社で、ある人と出会った。宇野千代にとっては、運命的な出会いでした。この人やと思って駆け落ちをする。その駆け落ちをした相手が、『人生劇場』という小説を書いた尾崎士郎です。その尾崎士郎がすごくどもるんですね。
 宇野千代が『生きていく私』という本の中でこう書いています。

 『一緒に住んだ家に客が大勢来た。いつも談論風発で、そのあとは酒になった。尾崎はそれらの客を相手に、どもり癖のある、あの一種の話し方で、斬りつけるように言うのであった。「そ、それは君、間違っているよ。そ、そんなことで、復讐を受けるのが気になるなんて、そんな卑怯な考え方ってあるものか」。話の内容が、どんな鋭いものであっても、その語調には少しの毒もなかった。この尾崎の発想の、万人に愛せられる習性は、尾崎自身にとって何を意味するものであったか』

 要するに、すごくやさしい人だったらしいです。そのやさしさや人柄に、宇野千代は惚れたんでしょう。

 『青い山脈』『陽のあたる坂道』の作家、知ってますか。石坂洋次郎という有名な作家です。石坂洋次郎は津軽出身で、ズーズー弁なんです。彼は、ズーズー弁のために劣等感をもって辛い思いをしていた。

 『私は標準語で発音しているつもりなのに、相手のガールフレンドたちはいつも誤った聞き方をして、クスクスあるいはケラケラ笑い出してしまうのだ。私は強い屈辱感にうたれて、それらのガールフレンドから積極的に離れてしまった』

 彼は恋を何度もするが、津軽弁のためにふられる。そのあたりから『青い山脈』という小説を書いたんだろうと思います。そのとき、小説家仲間としてつき合いのあったのが、尾崎士郎です。石坂洋次郎はこう書いています。

 『私が学生時代、田舎なまりのせいで、ガールフレンドと付き合えなかった話を尾崎士郎にすると、尾崎は苦笑いをして、「お前、ばかだな。女学生たちはお前の津軽なまりのことばで、幼児のことばを聞くときのような母性愛をそそられて笑ったんで、お前が引け目を感じないでもうあと一押しすれば、彼女たちは陥落したんだよ。おれは、このとおりどもりだろう。しかし、女とは限らず、対人関係でこれで随分得をしてきているんだ。好きになったカフェーの女などに「ぼ、ぼくは、あ、貴方を…」と言いかけると、母性愛に作用された相手は「分かってるわよ。貴方、私が好きだって言うんでしょう。私も貴方が大好き…」とくるんだよ。今の女房とも、(今の女房っていうのは宇野千代ですけど)そういうことで結ばれたんじゃなかったかな。ハハハ…。そのころ、私も41歳になっていたので、ことばのなまりやどもりは、当人の心掛け次第で、対人関係の上ではプラスの作用をするものだという、尾崎士郎の意見を呑み込むことができたが、時すでに遅し、東京の女学生に諦めをつけた私は、予科時代に、津軽弁がツーカーと通じる同じ弘前の町の女学生と結婚してしまっていたのである』

 哲学者の高橋庄治という人も、「僕はどもりのためにどれだけ得をしたかも分からない」と言ってるし、周りの人も君はどもりでいいなあ、うらやましいというふうに彼に言っています。

 何人かの吃音の著名人を紹介しました。感想を含めて、自分なら1〜4のうち、どんな生き方がしたいか、話していきましょうか。
      
1、どもりを治そうと闘った人。
2、どもりのために生き方を変えた人。
3、どもりと関係なく、自分の生き方を貫いた人。
4、どもりで良かったという人。

A 生き方がよく分かった。自分としてどれの生き方を選びたいかといえば、やっぱり、3番目がいいかなあと思う。
B 今でしたら、まだ1番を。努力しないとだめと思います。
C 4番はちょっとね。一番興味あるのは、1番。克服したというのが気になる。どういうふうに克服したか調べてみたいと思う。
D 僕は2番。遠藤周作さんの『彼の生き方』という本を読んで感銘したから、2番がいいなあ。
E 4番のように、僕も吃音で得をしたかったなあと思う。今僕は38歳やから、まだこれからそんな境地になれるといいなあと思う。以前は、女性の前でどもった時に、笑われたら、劣等感で、嫌な感情が強かったから、引き下がっていた。尾崎士郎のように、相手に母性愛があると感じていたら、20代で結婚していたかな。
F(小学5年生) 4番が一番よかった。
G(どもる子どもの母) 作家の方で、そんなに有名な人がどもりなんて知らなかったので、こんなにたくさんおられるなら、有名でない人もたくさんおられるんだろうなあ。自分の子どもだけじゃないと気が楽になった。小倉智昭さんは、徹子の部屋で見て、あの方は小学5年生のときに、どもきんて言われていて、自分がどもるから、あえてアナウンサーを選んだらしい。面接のときも僕はどもりだから、この仕事をしたいと言ったらしい。
伊藤 小倉さんのように、どもるからといって話す仕事を選んだという人もたくさんいる。
三遊亭円歌、花菱アチャコ、田辺一鶴、…どもりだからこそしゃべる職業に就いて、なんとか闘いたいという人ですよね。
H ベンツで有名なあの人がどもりって聞いて正直言ってびっくりした。
I 得をしたというのが自分の生活の中であまりないので、得をしたいな。
J 知らない人の話が多かった。プラス面ばかりの話だった。『金閣寺』という本の中で、金閣寺に火をつけたのがどもる人で、その人はコンプレックスをもっていて、むしゃくしゃして火をつけたというマイナス面の話しか読んだことがなかった。いい勉強になった。
K 1番のああいう生き方を是非したい。難しいとは思うんですけど。
L どもりはハンディキャップと思っていて、損という考え方があるから、4番がいい。
M 宇野千代さんの『生きていく私」の本を読んだとき、尾崎士郎さんにどもり癖があると書いてあっても、どもりとは全然気がつかなかった。今日、聞いてああそうなのかと思った。私は3番。
N 4番。どもりは得やという考え方ができる人はうらやましい。もしかしたら得していたかもしれないけれど、それに気づかずにいたかもしれない。必要以上に自分を小さくしていたことがあるかもしれない。とりあえず、うらやましい。
O 真継伸彦さんが、4、5年前、テレビに、1週間ほど1時間半ずっとぶっ通しで出ていた。宗教について、ひとりで喋っていた。唇を歪めて、しゃべりにくそうで、それが1時間半、そして1週間続く。NHKの教育テレビがよくこれを放映するわと思うくらい、どもっても平気で喋っている。きっと本人が、喋りにくそうに喋るけど、最後まで放映してくれと言っているはず。そうしないと、カットされると思う。すごさを感じた。
P 私自身はこんな生き方をしたいと思っているわけじゃないけれど、1番の人はすごいなあと思う。私にはとてもできない。どもったことで嫌な思いもしてきたと思っていたけれど、みんなと比べたらずいぶん少ないかもしれない。羽仁進さんはどこに入るのかなあ。3番かな。あの人のどもり方が、かわいくて好きなんです。あんなふうに自然体で自分の言いたいことが言えて、それにどもりがくっついているというような生き方がしたい。トレードマークみたいでかわいいなという気がします。

 他にも、何人かが感想を言い、その後で木の実ナナさんの『下町のショーガール』を読んで、この日の大阪吃音教室は終わった。
(NPO法人大阪スタタリングプロジェクト機関紙「新生」1996年12月号)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/6/21