吃音と共に豊かに生きる著名人(2)

 大阪吃音教室では、吃音の著名人のことが話題になることがあります。今回の大阪吃音教室で4つにジャンル分けをしました。まず、,痢吃音と闘い勝利した数少ない人です。紀元前300年代のデモステネスと、必死で闘ったけれど、デモステネスのようにはならなかった、小説家・金鶴泳さんを紹介します。

   ゝ媛擦鬚覆鵑箸治そうとして闘った人
 こんな本があるんです。『デモステネス』この本、古本屋でみつけたものですが、かびが生えているようですが、1942年に発行されたものなので、僕の生まれる前です。日本人は知らない人もいますが、欧米人でどもる人含めて、吃音研究者・臨床家で、デモステネスを知らない人はいないほどで、「デモステネス・コンプレックス」という言語病理学では専門用語があるくらい有名な人です。この本の中には、『全世界の英雄のうちでも、第一人者としてデモステネス』と書いてあります。彼は国を救う雄弁家、弁論家だったんですが、彼の作った演説の草稿が残っています。デモステネスは、小さい頃からは孤独で非社交的でした。雄弁家になって政治家になるなんて思いもよらなかった。彼はひどい吃音だったようです。本の吃音について書いてある部分をちょっと読んでみます。

 『雄弁家は、単にその草稿を完全に作るだけでなく、それを述べることを習わなければならない。ここに、デモステネスの大きな困難があった。彼は、舌に縺れる(もつれる)弱い音声と呼吸切れを直す練習を始めた。彼は特に「R」という字がやっかいだった。現在残っている彼の像では、上唇と下唇よりも突き出ていて、明快なる発音にはほど遠い欠陥が見られる。彼は、これらの身体上の欠陥を克服しようとして、口に小石を入れて演説の練習をしたり、フアレロムの海岸で、波の音に打ち勝つ練習をしたり、小山を駈け上りながら暗唱をしたり、オヂセイの一行を幾度となく繰り返して発音したり、数行の文章を一呼吸の間に言ってしまうことを習ったり、その姿勢を矯正するために、鏡の前で演説をしたなどという話がある』


 彼はこのような、ものすごい努力をして、当代随一と言われる演説家になって、英雄になりました。だから、努力をすればデモステネスのようになれるだろう、デモステネスのように流暢に話せる人間になりたいと憧れる人が出てきます。でも、吃音を直接治そうと闘った人で成功した人は、ほとんどいません。闘い疲れて結局は諦めるというのが、日本でも、世界でもほとんどです。だから、「デモステネス・コンプレックス」ということばさえ、生まれたのです。東京大学にも、京都大学にも、学生が作った会がありましたが、その会の名前は「デモステネス会」でした。

凍える口 デモステネスのようになりたいと、必死で吃音との闘いを挑んで失敗した人がいます。
 〈金鶴泳さん〉という作家、知ってますか。彼は、将来を嘱望され、何度も芥川賞の候補になった実力ある作家でしたが、残念ながら自死をしました。僕たちとも手紙でのやりとりがあった人ですが、吃音のことを小説で書き切った後に、吃音の苦しみから解放されたと言います。救われたと言うんです。どもりのことを小説に書くことによって、どもりを客観的にみつめるようになり、作家としての自信も生まれてきて、どもりにあまり悩まなくなります。そして、治そうと必死に訓練していた時は、全く変化しなかったのが、自伝的小説で吃音をオープンにしたことで、あまりどもらくなっていきます。僕たちと金鶴泳さんとの交流を知った、国立特殊教育特別研究所が、吃音について講演を依頼しました。金さんは、吃音を忘れた生活をしていたのに、吃音について話したことをきっかけに、再び吃音を意識するようになったそうです。小説『凍える口』の中で、どもることに対する悩みや辛い体験を赤裸々に描写しています。

 『このところ、僕の神経を弱らせているのは、単にその吃音のせいばかりではない。いよいよ今日に控えた恐怖の時間のことをたえず気にかけ、その時間のために、悩まされてきた。その恐怖の感情は、まったく不随意なものだった。意志の力ではどう抑えようもなく、神経の方で勝手に戦慄し、恐怖し、胸を苦しめ、そのために、僕はたえず胸中に不安を抱いていなければならないのだった。それは、研究会に対する不安であった。研究室の今日の研究会で、僕はこの3ヶ月間の研究報告をすることになっており、不安とはその報告のための言葉に対する不安のことであり、煎じ詰めれば、結局、吃音に対する不安であった』

 吃音に対する不安が大きく、彼は吃音を治すために一生懸命練習をします。

 『〈ああ、どもりでさえなかったら・・・〉闇をみつめながら、僕は思う。思うことを思うとおりになめらかに話すことができたら、と考える。そうすれば、僕の心はどんなに軽くなることだろう。青々と、胸のすくほどに澄んだ秋の空のように、晴れ晴れとすることだろう。胸の怖さを感じながら、僕は長い間、静かな雨足の音に耳を傾けていた。やがて意識がおぼろになっていき、僕は再び眠りに落ちていった』


 彼は結局は亡くなりましたが、自分の吃音について文章に書き、自分をオープンにしていくということでかなり克服していった人だろうと思います。彼は、5年間、どもりを治すための日課として訓練を続けたことをこう書いています。

 
『茶を飲み終わり、新聞にひととおり目を通すと、僕は吃音矯正練習にとりかかる。起床後の30分の矯正練習は、この5年来の僕の日課なのである。5年−と僕はふと思う−考えてみれば僕はもうこれを5年以上続けているのだ。それほど続けておりながらも、しかし吃音は依然として、僕の全身にへばりついているのだった。徒労−そんな思いが胸をかすめないでもない。だがそれはもはや全く習慣化されてしまっており、それを済ませぬと、たとえば歯を磨き忘れた朝のように、何となく気持ちが落ち着かないのだ。習慣化しているということは、言い換えればマンネリ化しているということかもしれない。マンネリ化しているゆえに、それは徒労事なのかもしれない。また、一日に30分程度の矯正練習では、20年近くの歳月をかけた身につけた吃音の癖を、矯めることはできないのかもしれない』

 彼も、デモステネスのことを書いています。これだけやってもデモステネスのようにはなれないという辛さを書いています。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/06/18