夢や希望を紡ぐ対話
 
 2013年夏、鹿児島市で開催された全国難聴・言語障害教育研究協議会全国大会鹿児島大会の吃音分科会の助言者として発言する冒頭に、僕はこの歌を歌いました。いきなり歌を歌ったことに、参加者はみな驚いたことでしょう。分科会が終わった後、分科会会場の責任者の校長先生が、「いやあ、びっくりしました。このような教育の研究協議の場で、講師が歌を歌うなんて、長い教員人生でも初めてです」と言っていました。僕としても、最初から歌を歌うことなど用意していたわけではありません。
 ことばの教室での、どもる子どもの指導についての事例が出されて、研究協議がなされていく進行をしていました。会場からたくさんの発言が出され、「どもる子どもにとって、この指導が本当に幸せに繋がるのか」の議論が展開していきました。その中で、僕は吃音に悩んでいた時のこと、悩みから解放され、今とても幸せに生きている人生を振り返り、何が一番苦しくて、どんなことばを悩んでいる小学生の僕に投げかけてもらったら良かったかを考えたとき、ふと、宮城まり子さんの「ガード下の靴磨き」の曲を久しぶりに思い出したのです。どもる子どもの教育にとって何が大切か、「夢や希望」を自分自身が感じ取れることこそが大切だと考えました。そして、この歌を歌わないと僕の話は展開できないと思ったのです。どもるとか、どもらないとかの問題ではなく、「夢や希望」が持てなかったことが一番辛いことだったからです。どもっていても、自分の夢があり、希望があれば、多少の辛さや苦しさは我慢ができたことでしょう。
 吃音に悩んでいた学童期・思春期の僕にとって、一番辛かったのは、将来への見通しが全くつかめず、夢も希望もなくしていたことでした。吃音とは何か、吃音が自分にどのような影響を与えているのかなど全く把握できずに、自分の力ではとても対処できるとは思えなかったからです。将来が見通せない不安や恐れは、一人で吃音に悩んできた僕にとっては、とても大きなものでした。そんな時、いつも口ずさんでいたのが、宮城まり子さんのこの歌だったのです。この人は、僕の辛さを分かってくれていると思えたのです。
 「子どもたちが、社会の一員として、希望をもって暮らしていくことを目指していた」
と、宮城まり子さんは言います。
 
 「言語訓練をして、少しでも吃音を改善して、君の夢を実現しよう」ではなく、「どもることは決して悪いことでも、劣っていることでもない。君は君の人生を、どもりながらしっかりと生きていけるのだ」と、これまで多くのどもる人のたどってきた道を、体験を示しながら、「君は何がしたいのか」と、どもる子どもと対話を続けたいのです。僕の仲間のことばの教室では、吃音治療、言語訓練しか考えられないアメリカ言語病理学とは違って、子どもと「夢や希望」を含めて、これからの人生についての対話を続けています。
 『どもる子どもとの対話−ナラティヴ・アプローチがひきだす物語る力』(金子書房)には、いきいきとした子どもとの対話例が紹介されています。

 最近、NHKで放送が始まった作曲家の古関裕而の少年時代の主人公に、音楽の藤堂先生が語る場面があります。どもるため音読がうまくできなかったり、運動が苦手で劣等感が大きくなっている少年に、「うまく話せるようになろう」「練習をして速く走れるようになろう」なんて言いません。
 藤堂先生は、少年にこう言います。
「人よりほんの少し努力するのがつらくなくて、ほんの少し簡単にできること、それがお前の得意なもんだ。それがみつかれば、しがみつけ。必ず道は開く」
 こうして少年は音楽、作曲の道にすすんでいくのです。

 出来ないことや苦手なことを治したり、克服したりする道ではなく、「そのままのあなたのままで」と、子どもと「夢や希望」を語る大人でありたいと思います。
 今回で、宮城まり子さんについてのブログは終わりとします。

 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/04/13