吃音と文楽 傾城反魂香

 国立文楽劇場開場35周年記念の初春公演の演目のうちのひとつに、「傾城反魂香」がありました。歌舞伎では、東京では片岡仁左衛門、中村吉右衛門の舞台。大阪では中村鴈治郎襲名興行の時と3度見ました。そのことは、以前にもこのブログで書きましたが、文楽では初めてです。又平がどもるところをどう表現するのだろうか、とても興味があり、楽しみにしていました。私の感想は次回に回し、初日の舞台を見たNPO法人大阪スタタリングプロジェクトの会長、東野晃之さんが、機関紙「新生」の一面記事に、「文楽の吃音」とのタイトルで文章を書いているので、本人の了解を得て紹介します。
文楽 傾城反魂香1
     
文楽の吃音
              大阪スタタリングプロジェクト会長 東野晃之
 1月3日初日の初春文楽公演を観に行った。この日は国立文楽劇場前で恒例の鏡割りがあり、文楽の人形が樽酒を振舞い、参加者を迎えるのが風物詩となっている。観劇の目当ては、どもる絵師の又平が登場する傾城反魂香(けいせいはんごんこう)。近松門左衛門の戯曲として歌舞伎の有名な演目で以前から「吃音がどう描かれ、表現されるか」を一度観たかった。また人形浄瑠璃の文楽でどう表現されるか、人形や太夫の演技に好奇心はそそられた。
 あらすじは、家貧しく、どもることでうだつが上がらない絵師の又平が、弟弟子に免許皆伝の先を越され、師匠の名字を許されたのを知り、妻おとくと師匠に願い出るが叶えられない。又平は絶望のあげく自害して死後の贈り名を願い、師匠の屋敷の手水鉢に一念をこめて自画像を描くと奇跡が起こり、筆の勢いが石の厚みを通って裏に抜け出た。その絵が師匠に認められ、名字を与えられる。最後に仏像を二つに切り病を治したという故事に倣って手水鉢を二つに切り分けると又平の吃音が治り、口からことばが滑らかに出る。太夫の語りにどもりということばが飛び交い、どもる又平のセリフは連発の吃音で表現された。人形の動きも連動し、揺れていたようだ。どもる又平と対照的によく口の回る妻のおとくは、又平のことばを代弁した。師匠に名字を願い出る場面で又平がおとくを先へ押し出し背中を突くと、おとくは心得て又平に代り切々と話すところに夫婦の一体感がよく伝わった。
 どもる人は、話す場面でそれぞれ自分なりに話し方や会話の工夫をしている。どもりそうなことばの前に「あの〜」、「え〜」などを付けたり、人によって「あのですね〜」とか、「なんというか〜」などのバリエーションもあるが、繰り返したり、名前や何でもないことに付けたりすることで不自然な場合もある。会話や特に人前でのスピーチでは、一般的に起承転結で話を構成するが、どもる人の場合は先に結論を話してから理由などを添える方が話しやすい。話の前段でどもってあせり、わけがわからなくなった失敗の経験から何を言いたいのか、先に結論を言ってしまうと安心だからだ。どうしてもことばが出ないときは、又平がおとくを頼りにしたように、誰かに代わってもらうのも吃音とつき合う選択肢である。
 文楽としての傾城反魂香は250年以上前に改作し、上演されてきた。「節(ふし)のあることは少しもどもらない」、「らりるれろ。まみむめも」と発声をして吃音の状態を確かめるなどのセリフや場面に昔も今も変わらない吃音の歴史を思った。どもる人の悲哀とそれでも捨てたものではない世の中を描く文楽を観て、吃音との付き合いがぐんと身軽に感じられた。
                「新生」NO.526号 2020年1月18日発行
 

 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/1/26