ケン・ローチ監督作品『家族を想うとき』

 昨年末、「お帰りなさい、寅さん」の他に、もう一本映画を観ています。ケン・ローチ監督作品の「家族を想うとき」です。
 2016年、ケン・ローチ監督の「私はダニエル・ブレイク」を観た衝撃は大きいものでした。かっての華やかな大英帝国から想像もできない貧困問題を扱った作品でした。自分が食べることを我慢して子どもに食べさせていたシングルマザーのケイティが、フードバンクを訪れたとき、棚にあった缶詰を思わず開けて食べてしまう場面は、本当に衝撃的で胸が震えました。
 ケン・ローチ監督は一旦引退したらしいのですが、やはり撮らなければならないと思い、復帰したとありました。
家族を想うとき パンフレットから、引用します。

 2016年、カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝き、日本でも大ヒットを記録した『わたしは、ダニエル・ブレイク』。この傑作を最後に、一度は表舞台から降りたケン・ローチ監督。だが、同作のリサーチ中に社会の底辺で目の当たりにした〈現実〉が彼の心の中に生き続け、いつしか〈別のテーマ〉として立ち上がり、どうしても撮らなければならないという使命へと駆り立てた。
 引退表明を撤回した名匠が最新作で描いたのは、グローバル経済が加速している〈今〉、世界のあちこちで起きている〈働き方問題〉と、急激な時代の変化に翻弄される〈現代家族の姿〉だ。2019年のカンヌ国際映画祭では、「私たちがやらねばならないことはひとつ。耐えられないことがあれば、変えること。今こそ変化のときだ」という、公式上映後のケン・ローチ監督のスピーチがさらなる拍手を呼んだ感動作。
 労働者階級や移民の人々など社会的弱者の人生に、鋭く切り込みながらも温かな眼差しを注ぎ込んできたケン・ローチ監督。彼のフィルモグラフィに、また一本、〈今〉を生きる人々への大切な贈りものが加えられた。

 物語の舞台は、イギリスのニューカッスル。この街で暮らすターナー家の父、リッキーはマイホーム購入の夢をかなえるために、フランチャイズの宅配ドライバーとして独立。母のアビーは、パートタイムの介護福祉士として、時間外まで一日中働いています。家族を幸せにするはずの仕事が、家族との時間を奪っていき、高校生の長男セブと小学生の娘のライザ・ジェーンは寂しい想いを募らせてゆきます。そんな中、リッキーがある事件に巻き込まれてしまいます。


 家族のためにマイホームを建てようと一生懸命働くけれど、それが逆に家族との時間を引き裂き、バラバラにしてしまう不条理、自己責任という名前で身動きできないようにさせてしまう産業構造は、イギリスの問題ではなく、日本が今抱えている問題と全く変わりません。「コンビニ残酷物語」が話題になって久しいですが、セブンイレブンとフランチャイズ店オーナーの争いは、現在も続いています。ほとんどコンビニを使わない僕たちですが、大変だろうことは想像できます。コンビニ地獄といわれる、様々な問題に対して、働き方改革は経営側の有利になるもので、人が幸せに生きることには、結びつきません。多くのブラックな職場と重なります。家族を大切に想っているのに、そうならない現実に、怒りと哀しみが募りました。

 僕たちが観た時は、特別に、上映後に、ジャーナリストの金平茂紀さんのトークイベントがありました。金平さんも、日本で起きていることとつながっている、この映画を鑑賞して、これは大変だと他人事のように言うのは偽善だ、当事者として受け止めることが大事だと話しました。
 
 僕の印象に残る場面があります。介護の仕事をしている妻のアビーが、怪我をした夫リッキーの付き添いのため、病院の待合室で待っているとき、かかってきた電話に出ました。それまでのアビーは、どんなに忙しくても、どんなに大変な状況でも、声を荒げることなく、やさしく慈愛に満ちたことばと態度で、周りの人に接していました。ところが、怪我をしているリッキーに、賠償金の話しか出ないやりとりに、思わず、それまで聞いたことのないような口調で、汚いことばを返しました。その激しさにびっくりしましたが、一番驚いたのは、そんなことばを返すアビー自身でした。優しく温かく接していたアビーも、我慢し切れなくなったのです。ケン・ローチ監督の「怒り」が爆発したシーンでした。

 ラストシーン、朝早く起きて、片眼をはらしながらトラックを運転するリッキー、危ないから行くなと止める家族の手を振り払って、彼は家族のためを思って運転します。その行く先には明るい未来は見えてきません。ケン・ローチ監督は、物語をハッピーエンドにはしませんでした。安直な救いを見せません。それは、私たち観るものに、「怒りを持て!」と言いたかったのでしょう。怒りとともに、人には、現実を見据えていけば、きっと変えていく力があると伝えたかっのではないかと思います。

 今の日本、僕には、腹立たしいことが多すぎます。忖度ばかりが目立ち、議論すべき国会で、逃げてばかりで説明も対話もしない、ありえないことが現実に起こっています。自分の目を、耳を疑いたくなるシーンに、国民が慣らされていってしまう。不都合なことの何もかもがうやむやにされ、みんなの記憶が薄れることを待っている。そう思えます。
 だんだんとおかしくなっていく日本、そして世界。絶望することは簡単ですが、それでは権力者の思うつぼです。せめて、怒りを持ち続け、無関心にはならないでいようと思います。弱い立場に追い込まれた人たちと一緒に、静かな怒りを忘れないこと。自分のことはもちろん大事だけれど、大切な人のことを想うこと。そんな日々を重ねていきたいと思いました。
 僕たちにできることはわずかですが、僕たちができる「吃音の世界」には責任をもちたいと思います。そのための「吃音を生きる子どもに同行する教師・言語聴覚士の会」の恒例の年頭合宿が、明日から始まります。鹿児島、大阪、滋賀、愛知、神奈川、栃木、千葉東京から仲間が集まり、一年間の計画を練ります。その後は「東京吃音ワークショップ」です。
 こうして、僕の吃音の2020が始まります。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/1/10