第30回吃音親子サマーキャンプ2日目 深い学びの一日

 午前中は、作文からスタートです。この作文の時間は、サマーキャンプの大切なプログラムのひとつです。前の日の夜、年代ごとに分かれて1回目の話し合いをしました。それは、仲間と共に、また、仲間の発言に触発されて、自分のどもりをみつめる時間でした。
作文 そして、夜を共に過ごした後の最初のプログラムが作文になっています。夕食や風呂の時間、眠る前の時間は、1回目の話し合いで話したことを振り返り、熟成する時間になっているのだろうと思います。そして、朝、自分や自分のどもりに、ひとりで向き合う時間です。サマーキャンプの経験が浅いスタッフ向けの「サマーキャンプ基礎講座」に参加しているスタッフを除いて参加者全員が集合します。説明はごく簡潔にして、後は静かに時間が過ぎていきます。親も、教師も、言語聴覚士も、自分の子どもや自分がかかわる子どもるにまつわるエピソードや、吃音についての自分の思いを書きます。学生時代に原稿用紙に向かってから久しぶりだと言いながら、思い出して書いていました。「今回は、ちゃんと書けた。書きたいと思うことがはっきりしていたから、しっかり書いた」と言いながら提出してきた高校生がいました。話すことも同じで、話したいと思う経験をすること、書きたいと思う経験をすることが、日常生活の中にあるかどうかが大事なポイントになるようです。
 作文の後は、2回目の話し合い。作文の時間を過ごしてきたことの効果はあるようで、さらに深い話し合いができたようです。
 午後は、親と子どもは別プログラムです。子どもは、劇の練習と荒神山へのウォークラリー。親は、学習室で、親の学習会です。
学習会全体学習会 伸二学習会グループに分かれて 今年の僕のテーマは、健康生成論です。説明した後、首尾一貫感覚の3つの感覚、把握可能感・処理可能感・有意味感を育てるために、親として子どもに何ができるだろうか、グループに分かれて、話し合いました。

 子どもたちが荒神山から帰ってくる頃、親の学習会も終盤に近づきます。僕たちが、親子での参加を原則にしているのは、学童期から思春期へと子どもたちが変化していくのに合わせて、親も勉強する必要を感じているからです。吃音を治すこと、改善することはできないけれど、吃音と共に豊かに生きることはできると考えています。しかし、吃音治療が難しいのと同じくらい、どもりながら豊かに生きていくことも簡単なことではありません。社会の偏見や大きなお世話の配慮が子どもの生きる力を奪っていきます。それらに抗い、自分らしく生きていく子どもの伴走者として、親も成長していってほしいと願っているからです。親も真剣に、吃音とどもる子どもの子育てを学びます。

カレー 子どもたちのウォークラリーにも、いろいろあったようでした。突然の雨に降られたようですが、大きな混乱はなく、無事に帰ってきました。そして、夕食は、野外クラフト棟で、恒例のカツカレーでした。この荒神山を会場にしてから、夕食は、決まって野外でとってきました。2日目の夕方、みんなが大きな家族になって、賑やかに食事をしているこの光景は、何度見ても、温かく、やさしいものを感じます。僕は、この光景が大好きです。

 夜は、子どもたちは、劇の練習、親は、フリータイムです。事前レッスンに参加したスタッフを中心に、練習が続けられます。劇を仕上げることが目的ではなく、自分の声やことばに向き合い、相手に届く声を感じ、劇という虚構の世界を楽しむ、そんな時間を子どもたちは過ごしていました。

 学習室での親たちの集まりは、親のセルフヘルプグループのようです。不安や緊張でスタートした初参加の人の顔が緩んできます。何度も参加している親が、初めて参加する人を押しつけがましくなく、包んでいます。リピーターの子どもがいつのまにか初参加の子どもを巻き込んでいくように、サマーキャンプの文化が静かに流れていっているようです。

スタッフ会議 長い一日が終わって、夜のスタッフ会議。それぞれが関わった場での印象的なエピソードが語られます。子どもたちの成長、変化を、みんなで共有できるいい時間でした。
 その後に番外編のように、吃音を生きる子どもに同行する教師・言語聴覚士の会のメンバーが集まりました。夏の初めの津での全国難聴・言語障害教育研究協議会全国大会、親・臨床家のための吃音講習会、そしてこの吃音親子サマーキャンプと、短い夏の間に何日共に過ごしたことか、濃密なつきあいの仲間に感謝です。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/9/7