吃音を生き抜くための哲学的対話〜第4回 新・吃音ショートコース報告〜
6月15・16日、第4回新・吃音ショートコースを開催しました。
吃音哲学〜吃音の豊かな世界への招待〜をテーマとした、今回の新・吃音ショートコース。千葉、東京、神奈川など遠くからの参加者もあり、総勢18名で、濃密な時間を過ごしました。
以前は、吃音ショートコースという名前の研修会を開いていました。精神医学、臨床心理学、教育学、演劇など幅広い領域の第一人者を講師に迎えたその研修会では、論理療法、アサーション、アドラー心理学、交流分析、認知行動療法、ゲシュタルト療法、当事者研究、内観、建設的な生き方、トランスパーソナル心理学、からだとことばのレッスン、笑いとユーモア、サイコドラマなどを学び、体験しました。それらの記録は5冊の書籍となり、または年報として出版され、僕たちの宝になっています。
新しく始まった、新・吃音ショートコースは、それら学んだ多くのことを、日常生活やこれからの人生に、またどもる子どもたちの支援に、どう活かすかを探っていく時間になっています。吃音を切り口にして、生きるということを考える「吃音を生き抜く、吃音哲学」がテーマなのです。
メディア等で取り上げられる吃音はネガティヴな面が多いのですが、どもりながら豊かに生きている私たちの体験を普遍的なものとして提示し、丁寧に発信していくことが、今一番大切なことだと思っています。新・吃音ショートコースは、そのような場です。

最初からプログラムが決められていないので、そのプログラム作りからスタートしました。
午後1時半、自己紹介とプログラム作りが始まりました。自己紹介は、ちょっとだけ自己開示をしたものをとお願いしました。その自己紹介の中に、今回のショートコースで取り上げたいいくつかの興味深いテーマがありました。自分なりの課題を持って参加して下さっていることが分かります。
1日目の終了時刻は、午後9時半。普通の研修会とはちょっと違うぞと感じられたようです。食事時間と、ときどきの休憩はありますが、後は、ひとりひとりの吃音、生活、人生にふれる貴重な時間になりました。話題提供をするのは、ひとりですが、参加している人は、それを自分の経験と照らし合わせながら、自分ごととしてその場にいます。対話を通して、自分に気づき、他者に気づく、深い温かい空間になりました。
1.当事者としての自分と、言語聴覚士としての自分の葛藤
言語聴覚士として働くどもる人が、現場での違和感を率直に話して下さいました。この人がもった違和感、そして、それをみんなの前で話してみようとされた覚悟のようなもの、それは、自分の当事者性を大切にしてきたからこそ生まれたものだと思います。これからどう生きていくか、どう臨床を続けていくか、真剣なやりとりが印象的でした。
2.我が子の名前が言えなかった経験から、子育てを考える
出産して6ヶ月、ママ友の集まりに出かけ、自分の子どもの名前が出なかった経験を話して下さいました。ママ友が言った「名前、忘れたの?」ということばに深く傷つき、怒りと哀しみを覚えた彼女にとって、何気なく声をかけてくれた相手は「嫌な人」になりました。そのときの嫌な気持ちを100としたら、今はどれくらいかなという問いかけから始まり、今、嫌な気持ちが40ほどに下がってきたのはなぜだろうか、自分にどんな力があったのだろうか、と考えていきました。名前が言えなかった子どもが、中学生くらいになった時、このことを話すとしたらどんなふうに話すかなという話になるころには、彼女にとって嫌だったあの経験は、経験自体は変わらないけれど、その意味づけはまったく違ったものになったようでした。当事者研究風にかかわりました。
3.人とちゃんと深くかかわりたい、つながりたいと思っている青年
人の悩みのほとんどは、人間関係にあると言えます。深く関わりたいと思いながら、傷つくのが怖いという思いから、関係を作っていくのをためらい、インターネットなどでのつながりを求めていくことは、現代の多くの人が抱えている問題と共通することだと思います。表層のつきあいではないものを求める青年は、自分のこれまでを真摯に振り返りました。家族、特に祖父との関係、学校時代のこと、研究室でのことなど、僕との対話を通して、彼の思考が深くなっていくのが感じられました。「まだみんなの前では言えないこともある」と彼は言いました。当然だろうと思います。何も全てを話すことがいいとは思っていません。まだ言えないことを自分は持っているとの思いを持ちながら、ぼちぼちと、楽に生きることを探っていければと思います。彼とは、これからも対話を続けていきたいと思いました。

4.ことば文学賞の発表
吃音体験を綴ることで始まった、大阪吃音教室の「ことば文学賞」、今年で第22回目でした。吃音だけに限らず、ことば、人生、仕事、コミュニケーションなど、幅広い視点で体験が綴られています。文学とあるので、構想、構成、ことばの使い方、書き出し、会話の効果的な取り入れ方、ユーモアなど、様々な観点から、作品を読みました。そして、最優秀賞1点と優秀賞2点を選びました。
作者名を知らされないまま、僕は作品を読みました。そして、3作品を選びました。参加者は、作品の朗読を聞きながら、きっと自分の体験と重ね合わせていたことでしょう。 受賞作品は、日本吃音臨床研究会のニュースレター、「スタタリング・ナウ」紙上で紹介する予定です。
ざっと2日間の新・吃音ショートコースを振り返りました。
参加者の感想は、次回、紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/6/27
6月15・16日、第4回新・吃音ショートコースを開催しました。
吃音哲学〜吃音の豊かな世界への招待〜をテーマとした、今回の新・吃音ショートコース。千葉、東京、神奈川など遠くからの参加者もあり、総勢18名で、濃密な時間を過ごしました。
以前は、吃音ショートコースという名前の研修会を開いていました。精神医学、臨床心理学、教育学、演劇など幅広い領域の第一人者を講師に迎えたその研修会では、論理療法、アサーション、アドラー心理学、交流分析、認知行動療法、ゲシュタルト療法、当事者研究、内観、建設的な生き方、トランスパーソナル心理学、からだとことばのレッスン、笑いとユーモア、サイコドラマなどを学び、体験しました。それらの記録は5冊の書籍となり、または年報として出版され、僕たちの宝になっています。
新しく始まった、新・吃音ショートコースは、それら学んだ多くのことを、日常生活やこれからの人生に、またどもる子どもたちの支援に、どう活かすかを探っていく時間になっています。吃音を切り口にして、生きるということを考える「吃音を生き抜く、吃音哲学」がテーマなのです。
メディア等で取り上げられる吃音はネガティヴな面が多いのですが、どもりながら豊かに生きている私たちの体験を普遍的なものとして提示し、丁寧に発信していくことが、今一番大切なことだと思っています。新・吃音ショートコースは、そのような場です。

最初からプログラムが決められていないので、そのプログラム作りからスタートしました。
午後1時半、自己紹介とプログラム作りが始まりました。自己紹介は、ちょっとだけ自己開示をしたものをとお願いしました。その自己紹介の中に、今回のショートコースで取り上げたいいくつかの興味深いテーマがありました。自分なりの課題を持って参加して下さっていることが分かります。
1日目の終了時刻は、午後9時半。普通の研修会とはちょっと違うぞと感じられたようです。食事時間と、ときどきの休憩はありますが、後は、ひとりひとりの吃音、生活、人生にふれる貴重な時間になりました。話題提供をするのは、ひとりですが、参加している人は、それを自分の経験と照らし合わせながら、自分ごととしてその場にいます。対話を通して、自分に気づき、他者に気づく、深い温かい空間になりました。
1.当事者としての自分と、言語聴覚士としての自分の葛藤
言語聴覚士として働くどもる人が、現場での違和感を率直に話して下さいました。この人がもった違和感、そして、それをみんなの前で話してみようとされた覚悟のようなもの、それは、自分の当事者性を大切にしてきたからこそ生まれたものだと思います。これからどう生きていくか、どう臨床を続けていくか、真剣なやりとりが印象的でした。
2.我が子の名前が言えなかった経験から、子育てを考える
出産して6ヶ月、ママ友の集まりに出かけ、自分の子どもの名前が出なかった経験を話して下さいました。ママ友が言った「名前、忘れたの?」ということばに深く傷つき、怒りと哀しみを覚えた彼女にとって、何気なく声をかけてくれた相手は「嫌な人」になりました。そのときの嫌な気持ちを100としたら、今はどれくらいかなという問いかけから始まり、今、嫌な気持ちが40ほどに下がってきたのはなぜだろうか、自分にどんな力があったのだろうか、と考えていきました。名前が言えなかった子どもが、中学生くらいになった時、このことを話すとしたらどんなふうに話すかなという話になるころには、彼女にとって嫌だったあの経験は、経験自体は変わらないけれど、その意味づけはまったく違ったものになったようでした。当事者研究風にかかわりました。
3.人とちゃんと深くかかわりたい、つながりたいと思っている青年
人の悩みのほとんどは、人間関係にあると言えます。深く関わりたいと思いながら、傷つくのが怖いという思いから、関係を作っていくのをためらい、インターネットなどでのつながりを求めていくことは、現代の多くの人が抱えている問題と共通することだと思います。表層のつきあいではないものを求める青年は、自分のこれまでを真摯に振り返りました。家族、特に祖父との関係、学校時代のこと、研究室でのことなど、僕との対話を通して、彼の思考が深くなっていくのが感じられました。「まだみんなの前では言えないこともある」と彼は言いました。当然だろうと思います。何も全てを話すことがいいとは思っていません。まだ言えないことを自分は持っているとの思いを持ちながら、ぼちぼちと、楽に生きることを探っていければと思います。彼とは、これからも対話を続けていきたいと思いました。

4.ことば文学賞の発表
吃音体験を綴ることで始まった、大阪吃音教室の「ことば文学賞」、今年で第22回目でした。吃音だけに限らず、ことば、人生、仕事、コミュニケーションなど、幅広い視点で体験が綴られています。文学とあるので、構想、構成、ことばの使い方、書き出し、会話の効果的な取り入れ方、ユーモアなど、様々な観点から、作品を読みました。そして、最優秀賞1点と優秀賞2点を選びました。
作者名を知らされないまま、僕は作品を読みました。そして、3作品を選びました。参加者は、作品の朗読を聞きながら、きっと自分の体験と重ね合わせていたことでしょう。 受賞作品は、日本吃音臨床研究会のニュースレター、「スタタリング・ナウ」紙上で紹介する予定です。
ざっと2日間の新・吃音ショートコースを振り返りました。
参加者の感想は、次回、紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/6/27