どもりながら生きる

『どもりながら生きる 「吃音者宣言」の精神、今も』−毎日新聞京都版のコラム「京都観察 いまむかし 八木先生の覚え書き」の見出しです。カラー写真入りの大きな記事でした。
この記事を書いて下さったのは、出会ってからもう40年以上になる元毎日新聞記者の八木晃介さんです。八木さんとの出会いは、また別に紹介するとして、おつき合いがずっと続いていました。大阪吃音教室の外部講師として来て下さったこともあります。
八木さんから、最近の吃音に関する記事が、治す、改善するに偏っているように思え、気になるので、別の視点からの記事を書いてみたいが、誰か京都在住の人を紹介してほしいと連絡がありました。最近のメディアの論調は、「100万人のどもる人が悩んでいる」に象徴されているように、ネガティヴなものが多いです。僕たち当事者だけでなく、第三者の八木さんの目にもそう映ったのかと思いました。この申し出は大変ありがたく、早速、大阪吃音教室の仲間である村田朝雅さんを紹介しました。そして、インタビューがなされ、4月20日付けの毎日新聞に掲載されたのです。
全文を紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/5/1

『どもりながら生きる 「吃音者宣言」の精神、今も』−毎日新聞京都版のコラム「京都観察 いまむかし 八木先生の覚え書き」の見出しです。カラー写真入りの大きな記事でした。
この記事を書いて下さったのは、出会ってからもう40年以上になる元毎日新聞記者の八木晃介さんです。八木さんとの出会いは、また別に紹介するとして、おつき合いがずっと続いていました。大阪吃音教室の外部講師として来て下さったこともあります。
八木さんから、最近の吃音に関する記事が、治す、改善するに偏っているように思え、気になるので、別の視点からの記事を書いてみたいが、誰か京都在住の人を紹介してほしいと連絡がありました。最近のメディアの論調は、「100万人のどもる人が悩んでいる」に象徴されているように、ネガティヴなものが多いです。僕たち当事者だけでなく、第三者の八木さんの目にもそう映ったのかと思いました。この申し出は大変ありがたく、早速、大阪吃音教室の仲間である村田朝雅さんを紹介しました。そして、インタビューがなされ、4月20日付けの毎日新聞に掲載されたのです。
全文を紹介します。
京都観察いま・むかし
八木先生の覚え書き/66
どもりながら生きる 「吃音者宣言」の精神、今も
毎日新聞2019年4月20日 京都版
南アフリカに「鼻が邪魔だと思う象はいない」という俚諺(りげん)があることを雑誌『世界』(岩波書店)の3月号巻頭で知りました。他人から見れば大変そうでも、本人は苦にならない、自分で引き受けたことならきっとうまくやれる、というほどの意味でしょうか。
この俚諺は筆者が障害者解放運動の中で知り合った友人たちの言葉に一脈通じるところがありそうです。いわく、「障害は不便だが、不幸ではない」「障害者の解放は、障害からの解放ではなく、差別からの解放である」等々。ここでは吃音(きつおん)の問題をとりあげるのですが、吃音が“障害”であるか否かについては深入りしません。ただ、吃音を自分で積極的に引き受けるなら、他人がどのように評価しようとも、どもりながらの人生を享受できるという、そのような思想と行動の重要性を考えたいのです。
3月18日本紙夕刊に「吃音 一人じゃない」と見出しのついた美談風の記事が掲載されました。記者は吃音者を「吃音に悩む人」ととらえ、吃音者の出現率を人口の約1%と記していました。あたかも人口の1%にあたる吃音者がすべて「悩む人」であるかの記述ですが、これは事実に反します。吃音に悩まされることなく、あるいは仮に悩まされることがあっても、堂々とどもりながら自分の人生を前向きに切り開いている人々も存在するのです。
そのような人物の一人、長岡京市在住の村田朝雅(あさか)さん(49)を紹介します。村田さんは龍谷大真宗学科を卒業、現在は教育系の会社でプログラマーとして働きながら、一方では浄土真宗本願寺派の僧侶でもあります。「5歳の時、母から“あんた、どもってるで”と指摘されて自覚しました」。学校に上がってからも、国語の朗読や自己紹介では相当難儀したとのことです。「やりましたよ、治す努力を。病院にも行ったし、運動療法や坐(ざ)禅にも取り組みました。でも結局、治らなかったし、今も治っていない」
村田さんに転機が訪れたのは40歳代に入った頃、たまたまネットで知った「大阪吃音教室」を訪れた時。「頭をたたかれるような衝撃でした、こういう生き方をしてきた吃音者がいたんだという驚き」と村田さんは表現します。吃音が治らなくとも、そのまま受け入れ、しかも吃音者であることを隠さない。いわば“開き直り”のアイデンティティー管理。そして、吃音が問題なのではなく、吃音から受ける影響を問題としてとらえる姿勢の確立。どもりながらも十分に人間的なコミュニケーションが可能であることの自覚。「吃音は、どう治すかではなく、どう生きるかの問題」だということを村田さんは悟ったのです。
村田さんを“解脱(げだつ)”させた大阪吃音教室の主宰者は、筆者の旧友でもある伊藤伸二さん(日本吃音臨床研究会代表・元大阪教育大学教員)。伊藤さんは1976年に発表された「吃音者宣言」の起草者としても知られています。有名な水平社宣言にも似たその宣言の中には「全国の仲間たち、どもりだからと自分をさげすむことはやめよう。どもりが治ってからの人生を夢みるより、人としての責務を怠っている自分を恥じよう。そして、どもりだからと自分の可能性を閉ざしている硬い殻を打ち破ろう。その第一歩として、私たちはまず自分が吃音者であること、また、どもりをもったままの生き方を確立することを、社会にも自らにも宣言することを決意した」とあります。
この宣言を村田さんは「外に向かっての働きかけではなく、自己の内部での誓いだと受けとめています」と言いながらも、やはり、吃音に起因する不便は日常的にあるようです。たとえば法務(法事や葬儀などの手伝い)の際に、所属寺院の寺名を発語しづらいとか、真宗にとっては肝心要の六字名号「南無阿弥陀仏」の「南無」の切り出しが出にくいとか。筆者は「それなら“阿弥陀仏南無”と言い換えてもいいんじゃないか、意味は同じだし」と、真宗関係者の目をシロクロさせるような提案をしましたが、激励になったかどうか。
村田さんとの対話中、面白い?ことに気づきました。最初は全然どもらなかったのに、話が弾みだすと、相当強くどもるようになりました。「ほどよく緊張しているとどもらないのですが、リラックスするとどもるタチなんです」と。それともうひとつ、京都弁よりも大阪弁の方がどもりやすいらしいのです。大阪出身、京都在住の村田さんらしい発見です。たぶん、大阪弁はせっかち、京都弁が悠長だからでしょう。
さて、既述の「吃音者宣言」路線は一定の広がりをみせ、吃音者運動のメイン・ストリームになるかと思われましたが、吃音者集団の全国言友会内部に組織的な路線対立が生じ、そのうえ、やはり吃音矯正への願いを断ち切りがたい人々も多く、結局、言友会は分裂、「どもりながら人間として自由になろう」と主張する伊藤さんや村田さんたちは現在圧倒的少数派になっています。その背景には、2005年制定の「発達障害者支援法」が吃音を発達障害の範ちゅうに含め、医療の対象にしたことも影響しています。同法は発達障害の就労支援なども盛り込んでいるので、吃音者の中にもこの法律を歓迎する人々が少なくないらしい。村田さんは「社会のなにもかもが医療化され治療の対象にされるのですね、でも、それは私たちの思想とまるで違います」と。
村田さんは別れ際に次のようにきっぱりと。「大阪吃音教室に参加した1年目は、治したい気持ちと、どもりながら生きていこうという気持ちがないまぜ状態でありましたが、今は吃音とともに生きていくということ、この一つを選取しています」。吃音を隠すがゆえの「どもれない身体」からの訣別(けつべつ)と、吃音を治すのではなく人間として立ち直る「どもれる身体」の獲得−−、筆者は村田さんの決意を全面的に支持するものです。
(八木晃介 花園大学名誉教授・元毎日新聞記者=社会学)
=次回は5月11日
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/5/1