土井敏邦監督のドキュメンタリー「福島は語る」

 2011年3月11日から8年が過ぎました。毎年、この日を特別な思いで迎えます。直接的な被害はないものの、吃音親子サマーキャンプに3年、女川町から参加した女子学生が津波で亡くなったからです。震災後すぐに、女川町や釜石を訪れ、生々しい風景の場所に立ち尽くしたからです。
 今年は、その前日の3月10日、知人でもある、土井敏邦監督のドキュメンタリー映画「福島を語る」を観ました。そして、8年前の福島を思いました。
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 午前10時、十三の第七芸術劇場での上映でした。入場者数は、40名くらいでしょうか。
 終わった後に、土井敏邦監督の舞台挨拶もありました。

 このドキュメンタリーは、100人以上の人たちに長時間インタビューして、編集されたものです。選ぶのが難しかったと思われるのですが、登場する14人の語りは、とつとつとしたものです。間もあります。でも、そのとつとつとした語りの中に、その人から今、生まれてくることばの力を感じました。ときおり、土井さんの質問のことばが入る他は、当事者の語りが続きます。語りの中に、「土井さんよう」という監督への呼びかけのようなことばも聞こえます。信頼している人への呼びかけのように聞こえました。お互いに、人として信頼しているからこそ、話すことができた、聞くことができたのだと思いました。
 語るには語りを引き出す人の人間としての力が問われます。パレスチナを30年ほど取材し、映像として残す中で、「故郷を失う人の苦悩」を人一倍知る土井さんだからこそ、福島の人たちは、自分の思いを語ることができたのです。語る側、聞く側の絶妙の間に惹きつけられました。171分、観終わった後、少しも長いとは思いませんでした。引き込まれるように観ました。
 土井敏邦さんの舞台挨拶も、とても共感できました。
 まずは、大阪吃音教室の仲間である西田逸夫さんが、次のように感想を書いていますので、紹介します。

西田@携帯です。
伊藤さん、溝口さんと一緒に、「福島は語る」を観ました。
たくさんの人たちの証言が、それぞれ長めの映像として、収録されています。
福島の今、と言うより、日本の今が、表現されています。

今週金曜まで第七劇場で、来週は同じビルのシアターセブンで上映されます。
個人的には、これまで直接的間接的に知った被災者の何人かと近い立場の方の証言があって、あの人たちは今どうしているかと、思いを馳せつつ観ることになりました。
誰が観ても、それぞれ多いに感じるところのある映画だと思います。


いろいろなことを感じました。監督のことばも含めて、また書きたいと思います。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/3/10