第2回ちば吃音親子キャンプ 吃音は治りますか?


 9月16・17日、第2回ちば吃音親子キャンプがありました。前日の15日は、吃音親子サマーキャンプの打ち上げ・反省会があり、翌朝、始発で出発し、飛行機で羽田へ、品川経由で千葉駅に行きました。千葉駅で、キャンプのスタッフと合流し、車に乗せてもらって、会場の自然の家へ行きました。第1回の会場と同じです。ちょうど半年前の3月、年度末の忙しいときに第1回を開催したのが懐かしいです。ちばキャン 出会いの広場
 第1回に参加した人もたくさんいます。参加者は、27名。こじんまりとした集まりですが、それぞれの顔が見えて、とてもいい雰囲気でした。
 出会いの広場では、ゲームをしてみんな仲良くなりました。第1回のとき、大いに盛り上がった「島渡り」ももちろんメニューに入っていました。子どもたちも楽しみにしていたようでした。

 出会いの広場の後、子どもたちと保護者・スタッフは別プログラムでした。
 子どもたちは、会場の周りの自然を活かした活動としてザリガニつりと工作でした。スルメをえさにしてザリガニをつるとのことでした。
 その間、保護者とスタッフに向けて、僕が話をしました。珍しく、スクール形式に机を並べ、まとまった話をしようと思いました。これまでは質問をしてもらって、それに答えるというスタイルをとってきました。そのスタイルは、いきいきとしたやりとりができるから好きなのですが、逆に語り落とすことも出てきます。今回はまとまった話をするつもりですが、これを聞きたいというものがあったらと思い、まとまった話の前に、一番知りたいこと、聞きたいことを質問してもらいました。
ちばキャン 保護者ワーク 伸二ちばキャン 保護者ワーク 保護者後ろ姿

1.吃音は、治りますか。

 初参加の人の質問でした。最初の質問が究極のものになりました。自然治癒はありますが、50パーセント程度で、小学校入学までの子どもの場合です。それ以上の子どもには自然治癒はそう多くはありません。「治らないです」と、僕は答えました。そう言ってしまうと、身も蓋もないのですが、だからといって、悲観的になることはないのです。「治らない、でも、大丈夫」を丁寧に伝えたいと思っています。「治る」をどう考えるかですが、全くどもらない人と同じように、自然に、まるで空気でも吸うかのように話せるようにはならないでしょう。アメリカも、今まで自然な流暢性を求めてきましたが、それは無理なので、次はコントロールされた吃音を目指しています。工夫してどもらないように操作しようとするのですが、これも難しいです。僕が目指すのは、「どもりはそのまま認めて、自然に変わることを、期待しないで待つことです。よくなることもあるし、ひどくなることもあるし、状態がほとんど変わらないこともあります。なるようにしかならないと思っています。
 吃音は生活習慣病と似ていると思うので、日常生活で気をつけることはたくさんあります。どもりを隠し、話すことから逃げて、しゃべらない生活を続けていると、口に潤滑油がない状態になります。すると、いつまでもどもりの悩みからは解放されません。
 僕は、21歳のとき、どもりを治そうと行った民間吃音矯正所でどもりが治らず、そこで治ることをあきらめてから、どもりながらしゃべっていきました。そんな生活を続けていたら、いつのまにか、7年か5年くらい経ってからでしょうか、ふと気がついたけれど、前はかなりどもっていたのに、最近しゃべれているなと思えるようになりました。治すことをあきらめ、どもりながら、自分が伝えたいことは伝え、相手に対して誠実に話していく生活を続けていくと、自然に変わっていったのです。治すことを諦めて、自分の人生を幸せに生きる、楽しく生きることを考えていけば、自然に変わると思います。
 そう話した後、質問した人に、この話をどう思うか聞いてみました。その保護者も、自身がどもる人でした。ことばを置き換えたりして、コントロールしてきた自分の経験から、それを子どもにもさせないといけないのかと思うと、つらい気持ちになると言いました。僕は、あなたはちゃんと生きてきて、今、どもりながら、仕事をし、家族を養っている、そのことに自信をもったらいいと思うと伝えました。
 僕の父親はどもっていました。どもりを治そうと思ってしていた謡曲の師匠になり、ちゃんと立派に生きていました。僕とどもりの話はしなかったし、相談相手になってくれなかったけれど、父は自分の生きる姿で、どもりながら誠実に生きていくことの大切さを教えてくれたと思います。どもりながらでも、幸せに生きていくことができるという、どもりを楽観的にとらえる根拠になっていたと思います。子どもにしてやれるのは、どもりながら自分自身が楽しく幸せにちゃんと生きていくことです。自分と同じような苦しみを、と思わないで、オレでも生きてきたのだから、オレの子どもも大丈夫だと思えるような楽観的な考え方をもってもらえたらいいなと思います。

2.今、小学校の1年生で、どもるけれど、ケロッとしている。治したいと言っていたこともあるが、ことばの教室へ行くようになって情報を少しずつもらって勉強して、今は言わなくなった。私があまり深く考えすぎるといけないのかなと思っています。


 僕は、こういうとき、おどすわけではないけれど、今はいいけれど、将来のことを考えると、しっかりと吃音について勉強しておくことは大事だと思っています。学校で教科を勉強するように、です。吃音は、治療ではなくて、吃音学、吃音哲学として学ぶものだと思っています。
 今はいい、将来、どんなことが起こるかもしれない。将来問題が起こる可能性があるからというので、そのために、アメリカ言語病理学は、今のうちに治しておこう、軽くしておこうとします。
 僕は大反対で、僕は予防教育として、どもりが将来マイナスのものとならないよう、幸せに人生を生きることができるように、親としてできることを精一杯しておこうと言いたいのです。どもる状態は変わります。調子よくいっていたとしても、何かの拍子でまた元の状態に戻ることも、もっとひどくなることもあります。そんな不安定などもる状態をなんとかしようとするのではなく、「どもりを否定的にとらえない、マイナスにとらえない考え方」は、しっかり身につけば、多少のことで揺らぐことはありません。そんな、考え方、覚悟のようなものを、吃音学、吃音哲学で学んでおいてほしいのです。

 この後も質問は続きました。それに答える僕の話が長すぎるからなのですが、こんなふうに、ひとりひとりの質問に答えていったら、まとまった話をするという最初の意図はどこかへ行ってしまいました。せっかくちばキャンプのためにパワーポイントの資料を作ったのに、ほとんど使うことができませんでした。終了間際に少しだけお話しました。100人を超えるような参加者なら最初からあきらめるのですが、これくらいの適度な人数だと、どうしても顔を見ながら参加者と対話をしたくなります。今回もそんな形になってしまいました。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/10/09