第29回吃音親子サマーキャンプ7 子どもたちの劇
吃音親子サマーキャンプに関するブログを、6回に渡って綴ってきました。そろそろ終わりに近づいたようです。最終日、いよいよ、子どもたちの劇の上演が始まります。
今年の劇は、「からすのくれた聞き耳ずきん」です。






荷物運びの藤六が拾った頭巾は不思議な力があります。かぶると鳥や木のことばが分かるのです。藤六がかぶったり脱いだりすると、後ろにいる小鳥役は忙しいです。チチチチと泣いていたかと思うと、「小鳥はとっても歌が好き」と人間に分かることばに変わります。その不思議な頭巾の力で、お屋敷の娘さんの病気を治したり、水不足で命の危険にさらされている森の仲間たちを救ったりします。最後、みんなで「ぼくらはみんな生きている」を歌っておしまいになります。
4つのグループに分かれ、それぞれ練習して、つないでひとつの劇に仕上げます。それぞれのグループがどんな演技を見せてくれるか、楽しみです。
昔は、劇を仕上げることに意識が向いてしまうこともありましたが、最近は、スタッフも子どもたちも、練習のプロセスを楽しんでいます。子どもたちからのアイデアを取り入れ、まさにみんなで作り上げます。このサマーキャンプのブログの初めに紹介した、演劇の演出を担当してくれている渡辺貴裕さんが、「今年の芝居は、次のステージに上がった感じがします」と言っていましたが、そんな気がします。サマーキャンプになくてはならない大事な目玉プログラムです。
最後に、サマーキャンプ卒業生が送ってくれた感想を紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/10/04
吃音親子サマーキャンプに関するブログを、6回に渡って綴ってきました。そろそろ終わりに近づいたようです。最終日、いよいよ、子どもたちの劇の上演が始まります。
今年の劇は、「からすのくれた聞き耳ずきん」です。






荷物運びの藤六が拾った頭巾は不思議な力があります。かぶると鳥や木のことばが分かるのです。藤六がかぶったり脱いだりすると、後ろにいる小鳥役は忙しいです。チチチチと泣いていたかと思うと、「小鳥はとっても歌が好き」と人間に分かることばに変わります。その不思議な頭巾の力で、お屋敷の娘さんの病気を治したり、水不足で命の危険にさらされている森の仲間たちを救ったりします。最後、みんなで「ぼくらはみんな生きている」を歌っておしまいになります。
4つのグループに分かれ、それぞれ練習して、つないでひとつの劇に仕上げます。それぞれのグループがどんな演技を見せてくれるか、楽しみです。
昔は、劇を仕上げることに意識が向いてしまうこともありましたが、最近は、スタッフも子どもたちも、練習のプロセスを楽しんでいます。子どもたちからのアイデアを取り入れ、まさにみんなで作り上げます。このサマーキャンプのブログの初めに紹介した、演劇の演出を担当してくれている渡辺貴裕さんが、「今年の芝居は、次のステージに上がった感じがします」と言っていましたが、そんな気がします。サマーキャンプになくてはならない大事な目玉プログラムです。
最後に、サマーキャンプ卒業生が送ってくれた感想を紹介します。
ここ1、2年で気がついたことがある。私は吃音についてずっと悩んできたと思っていたが、実のところはそうでもないのだろう。これまでの3年、私はずっと親の話し合いに参加してきた。その度に当事者目線として色々と聞かれるのだが、返答に窮することが多々あった。「自分の場合はサマーキャンプに来て解決したから…」と答えたいところだが、それでは親御さんの溜飲は下がらない。だからどうにか言葉を捻り出して答えを取り繕ってきたのである。
今年は初めて子供の話し合いに割り当てられた。小学5年生4人のグループ。小学5年で初めてサマーキャンプに参加した私としては縁を感じるが、それ以上に不安の方が大きかった。ただでさえ親相手に話すことがないのに、子供相手なら尚更だ。何年も参加している卒業生の胸中は決して穏やかではなかった。
だが、そのような私の懸念はあっさりと崩れ去ることとなった。子供達に話を聞いてみると、口々に「悩んでいることは特にない」だの「将来の不安もない」、果ては「自由研究で吃音についてまとめて発表した」やら「全校生徒の前で話をして今では6年生と仲良くなった」などという武勇伝が飛び出てきたのである。かつての私よりもよほど高い胆力と行動力を持つ彼らに言って聞かせる高説など私はおろか4人いたスタッフの誰も持ち合わせていなかった。大人という肩書きの上に胡坐をかき三味線を弾いていた私達がいかに空疎であるかをその逞しさを以て暴いてみせたのはわずか十余歳の子供達に他ならなかった。彼らの強さは世間を知らないことからくる慢心などではない。これから先訪れる苦境も自力で乗り越えていけるだけのものを持っている。私は小さくも大きい彼らの姿にそれを確信した。
そんな中で、今年、同じグループだったひとりの男の子のことが、私は気になっていた。サマーキャンプが終わり、家に帰ってからも、どうも気になる。気になっていることを伝えたくて、そして、その子がその後どうだったか確かめたくて、私は、今年ははるばる東京からサマーキャンプの反省会に乗り込むことにした。参加したところで何が解決するわけでもないが、サマーキャンプ以降ずっと宙を漂っている私の心を少しでも落ち着けずにいては私自身の精神衛生上宜しくない。そのためには移動時間も交通費も安いものだ。
私の今年のサマーキャンプは、いつもより少しだけ長い。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/10/04