第29回吃音親子サマーキャンプ4 しあわせなどもり
子どもは年代別に、親は今年は4グループに分かれて、話し合いが行われました。それぞれに、どもる大人と、ことばの教室の担当者や言語聴覚士などの臨床家が、ファシリテーターとして入ります。 それぞれのグループでさまざまな話題が出たようです。笑いあり、涙あり、この時間こそが、吃音親子サマーキャンプの真髄、ともいえるような吃音の奥深さを感じさせてくれるいい時間でした。
中学生のグループの話を少し紹介します。中学生グループは、全員で5人。小学生のときから参加しているベテラン組が多いのですが、今年で2回目という子もいます。話し合いは、参加者全員が本当に対等な立場で進んでいったそうです。1回目の話し合いで、子どもたちが、自分のことを正直にすなおに話しているのを聞いて、それに影響されたのか、スタッフも、ひとりひとりが自分のことばで自分のことを語り出したそうです。お互いによく知っているスタッフもいるのですが、今まで聞いたことがないような内容の話が出てきてびっくりしたということでした。
今年、初めて参加した、定年間近のことばの教室の担当者も、とまどいの中、スタートしたはずだと思うのですが、いつの間にか、大きな流れの中で、自分を語り始めました。
昔、自分が担当したどもる女の子の話でした。何か大きな発表会のような場があり、それに向けて、ことばの教室で対策を考え、それなりに練習もし、当日を迎えたそうです。どもる子なのだから、どもって当たり前なのですが、当日、その女の子は、みんなの前でどもってしまい、その担当者は、「失敗した!」と思ったそうです。なんとかその場をしのいでほしいと思っていたのかもしれません。どもる姿を見せてしまったことは、その担当者にとっては失敗だったと思ったようなのです。
それを聞いていた中学生からは、「どもったことが、なぜ失敗と思うのか」と質問が出たそうです。「どもる、どもらないに関係なく、大きな発表会に出たことが成功だ」と、質問した中学生は思ったのでしょう。そこから、そもそも失敗とは何か、そんな話につながっていったと聞いています。長年参加している子も、2回目の子も、しっかり考えることのできる子どもたちだと改めて思いました。
さあ、参加したスタッフの1人、大阪の藤岡千恵さんが感想を送ってくれました。承諾を得ていますので、紹介します。








日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/9/27
子どもは年代別に、親は今年は4グループに分かれて、話し合いが行われました。それぞれに、どもる大人と、ことばの教室の担当者や言語聴覚士などの臨床家が、ファシリテーターとして入ります。 それぞれのグループでさまざまな話題が出たようです。笑いあり、涙あり、この時間こそが、吃音親子サマーキャンプの真髄、ともいえるような吃音の奥深さを感じさせてくれるいい時間でした。
中学生のグループの話を少し紹介します。中学生グループは、全員で5人。小学生のときから参加しているベテラン組が多いのですが、今年で2回目という子もいます。話し合いは、参加者全員が本当に対等な立場で進んでいったそうです。1回目の話し合いで、子どもたちが、自分のことを正直にすなおに話しているのを聞いて、それに影響されたのか、スタッフも、ひとりひとりが自分のことばで自分のことを語り出したそうです。お互いによく知っているスタッフもいるのですが、今まで聞いたことがないような内容の話が出てきてびっくりしたということでした。
今年、初めて参加した、定年間近のことばの教室の担当者も、とまどいの中、スタートしたはずだと思うのですが、いつの間にか、大きな流れの中で、自分を語り始めました。
昔、自分が担当したどもる女の子の話でした。何か大きな発表会のような場があり、それに向けて、ことばの教室で対策を考え、それなりに練習もし、当日を迎えたそうです。どもる子なのだから、どもって当たり前なのですが、当日、その女の子は、みんなの前でどもってしまい、その担当者は、「失敗した!」と思ったそうです。なんとかその場をしのいでほしいと思っていたのかもしれません。どもる姿を見せてしまったことは、その担当者にとっては失敗だったと思ったようなのです。
それを聞いていた中学生からは、「どもったことが、なぜ失敗と思うのか」と質問が出たそうです。「どもる、どもらないに関係なく、大きな発表会に出たことが成功だ」と、質問した中学生は思ったのでしょう。そこから、そもそも失敗とは何か、そんな話につながっていったと聞いています。長年参加している子も、2回目の子も、しっかり考えることのできる子どもたちだと改めて思いました。
さあ、参加したスタッフの1人、大阪の藤岡千恵さんが感想を送ってくれました。承諾を得ていますので、紹介します。








しあわせなどもり
藤岡 千恵(42歳 会社員)
吃音親子サマーキャンプの全てのプログラムが終わり、大阪へ向かう列車の中で私は三日間の余韻に包まれている。河瀬駅から乗り込んだ一緒にサマキャンを過ごした人たちが、一人またひとりと列車を降りていく。そのたびにちょっと切ない気持ちになる。そして大阪駅で皆と別れたあと、ひとりになった瞬間の心許なさに動揺する。大勢の人とともに時間を過ごしたあとに一人の生活に戻るということに、まだ気持ちが追いつかない。その時の私の中に渦巻く感情もそのままに大阪駅をあとにする。
渦巻いている感情の大半は、さみしさ。心から泣いて笑って心がジンと震えて、「ああ、私は生きているなあ」と思う。「人」が好きになる。一年で一番ご飯が美味しい三日間。そんなサマキャンが終わると私は本当にさみしいのだ。そんな贅沢な時間を今年も存分に味わえたことが心からうれしい。そして、あとからじわじわと湧いてくるのは、人が愛おしいということ。サマキャンで出会う全ての瞬間が愛おしい。一瞬も見逃したくないくらい、人を愛おしいと思う瞬間に出会う。私はサマキャンの間、時々ふっと我に返って、この中に自分がいられることの幸せをかみしめていた。
サマキャンではたくさんの、心に残ることばに出会う。
初日のプログラム「出会いの広場」で強く残ったのは、各グループに分かれて考えた童謡「村祭り」の替え歌と振り付けだった。最初に発表したグループの迫力に心を奪われた。「ドンドンドンドン ドンヒャララ」を「どんどんどんどん どんどもり」という歌詞に替えて、グループの全員が一斉に中央に向かって太鼓のように自分の太ももをたたいた。どもりが愛おしく思える「どんどもり」。可愛らしいことばで心に残った。こういう共通語のようなことばに出会うとささやかな喜びを感じる。
同じく初日のプログラムにスタッフの顔合わせがある。学習室と呼ばれているじゅうたん敷きの部屋に全員がひとつの円になって座る。毎年のことながらこの光景は迫力がある。今年は茨城から沖縄まで、42名のスタッフが集まった。ここで、一人ひとりが所属や名前など簡単な自己紹介をする。どもる大人の当事者、全国のことばの教室の教員、言語聴覚士を中心に、どもりの縁で集まった人たちで今年もバラエティー豊かな顔ぶれになった。
神戸スタタリングプロジェクト会長の伊藤照良さんが自己紹介をした時、いつものようにどもりながら自己紹介をする照良さんに、誰かが「(昔と)どもり方が変わってへんな〜」と言った。私は12年前に照良さんに初めて会った時、どもりながら皆の前で発表する姿に勇気づけられた。その頃の私は人前でどもることに大きな抵抗があったが、気持ちのいいどもり方の照良さんを前にして、どれだけどもっても、一生懸命伝えたいと思うその気持ちこそが人の心を動かすのだとわかった。サマキャン事務局の溝口さんが、照良さんが話したあと「そのどもり方、好き!」と言った。
最終日のプログラム、保護者のパフォーマンスも忘れられない。今年初めて参加した子どもの祖母である女性がパフォーマンスで華をそえた。演技の最後に、両サイドから子どものお父さんに抱えられて、会場にいる子どもたちに向かって「だだだだ大好き!」と両手を大きく広げた。どもることばのインパクトに、完全に心を持っていかれた。
サマキャンで出会うたくさんのことばは、どもる子どもたちに向けた応援歌のようにも感じる。その応援歌をもれなく、どもる大人の私も受け取って胸がいっぱいになる。
私は長い間、どもりを人目にさらさないように息を詰めて生きてきた。その頃は自分のどもる話し方を、自分の耳で聞くことも耐えられなかった。私の中からどもりが消えてしまうことをひたすら願った。自然と、人からどもりだと見られない話し方を身につけた。身につけたところで一瞬足りともホッとできず、人前で話す時は、どもりがバレないか心配がつきまとった。
思えば、どもりの悩みの始まりは、どもって話す喋り方を自分の中で否定したことだった。どれだけ否定しても自分の中からどもりがなくなることは無い。そんな自分のどもりを「いいね」と言ってくれる人がいること。
私はこれまで、どもりを通じて出会った人たちから、「どもり方が素敵」と言われ続けてきた。
幼心に「どもる自分は愛されない」という強い物語を自分で作り、ずっと、その物語の中で生きていた。そんな私の両腕をぐっとつかみ、深い底から「そのままのあなたがいい」と、明るい世界に引き上げる。「あなたのどもり方が素敵」のことばには、そんな力があった。私は今、どもれることがうれしい。
サマキャンの最後に、今年初参加だった保護者やスタッフが次々に感想を話した。初めて参加した小2の男の子は、感情が表に出なくて能面のようだったのが、ここで過ごして目が大きく開き、表情が変わったというのだ。私は彼と生活グループで同じで、一緒に劇の練習もした。カラス役でセリフを一生懸命読む愛らしい演技に、本番は会場から笑いが起こった。
高校生の男の子が彼に子守唄を歌ってあげていたのだという。体の大きなお兄ちゃんが子守唄を歌って寝かしつける光景はコミカルだが、そこにはやさしい時間が流れていたのだろうと想像した。
この三日間が、彼のなかでやさしく存在し続けるといいなと思う。その感想を話した彼の祖母は、自称「鉄の女」と言った。鉄の女がぼろぼろ涙するほどの人間くさい交わりがここにはある。
二日目、今年初めて参加したスタッフの一人とお昼を食べた。日に焼けた快活そうな外見と穏やかで優しい雰囲気が印象的だった。丼ぶりを食べながら「滋賀のサマキャンで“自分がどうありたいか”、“どういう自分で生きていきたいか”ということを考えた」と彼女は言った。私は、今年の5月に聞いた「どもりはそんなにやわじゃないので、心してかからないといけない」という伊藤伸二さんのことばを思い出した。どもりのことについて考える私たちは、いつのまにかどもりによって人生を考えさせられている。私はサマキャンに出会ってどもりの虜になったが、どもりの魅力はまだまだ計り知れない。
最後の感想を聴きながら、この人たちと同じ時代に生きて出会えたこと、今年も奇跡のような時間を一緒に味わえたことが本当にうれしいと思った。「私はなんてしあわせなどもりだ」と、もう何回痛感してきたかわからない感情が、この時も込み上げてきた。
そんな幸せな時間を心に刻み、一人になった瞬間のさみしさも味わい、サマキャン前よりも元気になった私で、また日常に戻っていく。
−−−また来年会いたい人たちがいる。
そんな幸せを、一人かみしめながら。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/9/27