これまでとは全く違うタイプの吃音の本が出版されました。紹介します。

 昨年1月9日、東京渋谷のロフト9で、上映&トークショーが行われました。オープニングは、スキャットマン・ジョンの映像と音楽、その後の映画は、アメリカのどもる青年、マイケル・ターナー監督の『The Way We Talk』。2つの映像作品の後で、「ちょいワルおやじたちの「私は“私”の生き方」トーク〜自分に向き合うこと、「私は“どもり”」から「私は“私”」まで〜のトークショーでした。このユニークなイベントは、僕たちの仲間である「スタタリング・ナウよこはま」が企画・主催しました。ビールやワインを傾けながら、映画とトークショーを楽しみました。そのときトークショーでご一緒した医学書院の編集者である白石正明さんが、シリーズ<ケアをひらく>の『どもる体』を送って下さいました。伊藤亜紗さんが書かれた本です。
どもる体_0001
 まず、目に入ったのが表紙の絵。とてもユーモラスでおもしろいのに、引きつけられました。そして、その表紙には、こんなことばが書かれていました。

  治る/治らない とはまったく別のところから迫る身体的吃音論

  楽に話せば連発だ。
  意志を通せば難発だ。
  言い換えすれば自分じゃない。
  リズムに乗れば乗っ取られる。
  とかくしゃべりは窮屈だ。

 著者の伊藤亜紗さんのプロフィールは、次のとおりです。

東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。専門は美学、現代アート。もともと生物学者を目指していたが、大学3年次より文転。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。研究のかたわらアート作品の制作にもたずさわる。
主な著作に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮出版社)、参加作品に小林耕平《タ・イ・ム・マ・シ・ン》(東京国立近代美術館)など。趣味はテープ起こし。インタビュー時には気づかなかった声の肌理や感情の動きが伝わってきてゾクゾクします。

 あとがきの1行目に、伊藤さんは、このように書かれています。

「なんだか後出しジャンケンみたいになりますが、私自身にも吃音があります」。

 ご自身の体験と、それだけではなく、たくさんのどもる人にインタビューされて、この本ができあがったそうです。そのインタビューを受けた人の中に、僕の知っている人がいました。大阪吃音教室の仲間である藤岡千恵さん、昨年の新・吃音ショートコースや今年の東京ワークショップでご一緒した山田舜也さんです。
 伊藤亜紗さんは、同じようにどもる当事者ですが、経歴からしても、僕とは全く違う切り口で、どもりを、吃音問題を扱っておられます。僕にとっては、とても新鮮で、刺激的で、興味が広がります。

 『どもる体』が届いてすぐに、白石さんにお礼のメールをしました。「まだ読んでいませんが、これまでになかった切り口での、爽快感のある本、そんな予感があります。その予感が当たっているか、読むのがとても楽しみです」と書いて送ったら、すぐに白石さんから返事がきました。そこには、「あ、よかったです。爽快感、たしかにそういうものを目指していたと思います。(こういうのは言われないと気づかないですね)どうぞ、ゆっくりと読んでいただければと思います」と書いてありました。
 渋谷のロフトで初めてお会いしたとき、楽屋で、実は白石さんもどもるとお聞きしました。また、先日、このブログでも紹介しましたが、朝日新聞に大きく取り上げられていた白石さんの記事の中にも、「軽い吃音がある」と紹介されていました。そんな白石さんから送っていただいた『どもる体』、今は、自分の本の原稿『どもる子どもとの対話−ナラティヴ・アプローチからの接近(仮題)』の最終編集中で、読めていないのですが、とても楽しみです。

 興味のある方にぜひ、と思い、紹介させていただきました。

日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2018/05/31