吃音親子キャンプが大切にしていること

 前日の激しい雨が嘘のように、さわやかに青空が広がった3月17日、第1回ちば吃音親子キャンプが、千葉市立少年自然の家で開催されました。参加者は、41名。これは、院内小学校ことばの教室の渡邉美穂さんの20年来の念願のキャンプでした。
 午前中は、ことばの教室担当者向けの研修です。滋賀県の吃音親子サマーキャンプでの経験をもとに、キャンプで大切にしたいことを伝える場でもあり、日頃、学童期の子どもと接する際に大切にしたいことを共に考える場でもありました。いつものように質問から入ったのですが、滋賀のキャンプに参加したことのある人の発言からスタートしました。
ちばキャンプ1 研修 伊藤・渡邉
ちばキャンプ2 研修中

Q1 滋賀のキャンプでは、「静かにしなさい!」みたいなことを言う人がいないのに、みんな時間を守り、プログラムが始まる。それでいて、とても温かい雰囲気に包まれている。どんなことに心がけているのか。
A1 吃音ショートコースというどもる人向けの2泊3日のワークショップをしていたとき、講師が口をそろえて「温かい雰囲気で、とても話しやすかった。これまでにない雰囲気だった。堅苦しくなく、みんながよく笑ってくれる。この笑いは、応援の意味だ」などの感想を言って下さった。吃音親子サマーキャンプも同じことが起きているようだ。どうしてそうなったのか分からないが、心がけているのは、スタッフも参加している子どもも保護者も、みんな人間として対等であるということです。スタッフも参加者と同じ参加費を払っているので、世話する側と世話される側の区別をできるだけしないように心がけてきました。子どもも一人の人間で、常に対等の同じ立場にいるということ。だから、「○○先生」と言わずに、「○○さん」と呼んでいます。スタッフと参加者の垣根を外したかったからです。吃音親子サマーキャンプも、当初はそうではなかった。普段、子どもたちはしんどい思いをしているのだから、キャンプは楽しい場にしたいという人もいた。僕たちはそれは違うだろうと思った。キャンプは、どもる子どもたちがこれからどう生きていくか、その力をつける場だと思っている。吃音についての話し合いや、後に引けない場に立ち、言い換えのできない演劇に取り組み、その中での喜びや楽しさを味わってほしいと思っている。子どもたちは、弱い、守ってあげなければいけない存在ではない。結果として、参加者は元気になり、子どもたちは楽しかったと言ってくれている。

Q2 話し合いで話さない子、作文の時間に書けない子はいたか。そんなとき、どうしたか。
A2 こちら側に聞きたいという気持ちがあれば、話すのではないだろうか。作文は書けない自分と向き合うということもいいのではと思っているけれど、スタッフがそばに行って、話を聞くなどして、大体、短くても書いていると思う。特に、話し合いの場では、グループの力が大きく働いている。ほかの人がしゃべっていたら、自分もしゃべってみたいと思うだろう。ただ、どうしてもしゃべらなければならないとは思っていない。聞いているだけでも意味がある。エンカウンターグループでも、そのような経験をした。高い参加費を払い、4泊5日の合宿に来て、一言も話さずに帰る人もいる。それはそれで意味がある。

Q3 ことばの教室で、子どもたちと演劇のような手法でお話づくりをしている。滋賀のキャンプの演劇はどのようなものなのか。
A3 僕たちは、竹内敏晴さんという演出家が、サマーキャンプ用に書いてくれたシナリオを使い、合宿で演出指導を受け、サマーキャンプで子どもたちと演劇をつくりあげている。プロの演出家がいたから、できたことだと思う。言いにくいことばを言っていくことも大事だし、苦手なことに挑戦することも必要だ。ひとりでできないことでも仲間がいればできる事は少なくない。大切にしているのは、誰に向かって言っているのか、それをどう受け取り、どう返すのかということで、演劇という手法を使って、相手に届くことばの獲得を目指している。2泊3日という時間があるからできることで、僕が行っている他のキャンプではしていない。

Q4 グループ学習を定期的にしているので、同じようにどもる子どもたちとは出会っているが、キャンプは宿泊を伴う。この宿泊を伴うことの意味はあるか。
A4 子どもたちにとって、夜、友だちと一緒に過ごすことには大きな意味がある。サマーキャンプは、1日目に話し合いをし、夜をまたいで、翌日、作文を書き、話し合いをするというプログラムになっているが、夜、熟成するのではないか。不登校になっていた女の子が話し合いで自分のことを語り、夜、部屋でまた話し、寝て、翌日、「どもってもいい」というタイトルの作文を書いたことがある。宿泊を伴うというのは大きな意味があると思う。人間が変わるときの要素についての大規模な調査があった。指導者のスキル、指導者との関係性、クライエントが持つ期待度が、それぞれ15%、30%、15%で、残りの40%は何か分からないけど変わったというものだった。何か分からない要素が働いて人は変わる。夜、変わるのかもしれない。夜、一緒に泊まる中で変わっていく部分は大きいと、僕は考えています。

Q5 「あなたはあなたのままでいい」という事を子どもに教え込んでいたと反省している。すると、子どもは、私の前では、このままでいいと言いながら、実は「薬を飲んでどもりを治したい」というのが本音だったようだ。他の人と違うことを恥ずかしいと思っていた。今までのように、「あなたのままでいい」と言っていいのか。
A5 「どもっているあなたのままでいい」は、他人が言ったり、教えるものではない。そういうことを言う人の前では何も言えなくなる。僕たちは、「あなたはあなたのままでいい、あなたは一人ではない、あなたには力がある」という3つのメッセージを大切にしているが、ことばで直接伝えたことはない。どもりは変化するもので、僕のどもり方も変化している。僕たちが、どもりながら、平気で生きている姿を見て、自分自身が「私は私のままでいい」と思うことだ。周りが言うことでもないし、まして周りが「どもっていい」と許可を与えるものではない。自分が自分に言うことが大事。では、子どもが、どもりを治したいと言ってきたら、どうするか。
 どもりを治したい気持ちは分かるけれど、原因も治療法もないのだから、「仕方ないなあ」とは言います。私には、どもりを治す力もないし、私以外の誰にも治すことはできない。そのまま、どもりながらしゃべっていくしかない。この世の中には、治せないもの、分からないものは山ほどあるのだから。

Q6 保護者から「どうしても治して下さい」と言われて困ってしまった。「原因も治療法も分からないから、一緒に考えていこう」と答えたら、納得してくれた。これでよかったか。

A6 治せるものなら、同行する必要はない。どうなっていくか分からない、その不安に耐えていく、それがネガティヴ・ケイパビリティだ。不確実性への耐性ともいう。治してほしいというのは、当然の欲求だろう。でも、世の中には治せないものもある、どうつきあっていくか一緒に考えていこうと伝える。同行してくれる人がいたら、耐えられる。治せないものだからつきあう。治らない、治せないからこそ、一所懸命考え、取り組むことになる。そこに意味がある。僕がここまで吃音と共に生きてこられたのは、治らない、治せないものだからだ。

Q7 担当している子どもに、構音と吃音の両方があったので、まず構音に専念してきたら、保護者から、タイミングをはかって、なんとか話せるようにしてほしいと言われた。本人は、言いにくいカ行のとき、一拍おいてしゃべるなど工夫をしている。でも、そのタイミングが合わなくなったら、落ち込むだろう。そのとき、どうしたらいいか。
A7 子どもは自分の力で、自然に考え、その子だけの方法を編み出している。他人である教師が教えることではない。ことばの言い換えをしてはいけないという人がいるが、なぜ悪いのかと思う。どもらないための言い換えと考えず、声を出すための言い換えだと考えている。言い換えができないときは、それを受け入れるけれど、ぎりぎりまで悪あがきはしていいと思う。どもる人で、言い換えたり、間をとったりしていない人はいないだろう。いろいろやってだめなときはどもる覚悟をするということだ。もし、工夫してもうまくいかなかったらと心配しているが、子どもは、そんなにヤワではない、弱い存在ではない。
 どもる子ども、どもる人たちは、自分で自分の問題をなんとかしてきた。ことばの教室の担当者やSTは、専門家としての仕事をしたらいい。これからは、幸せに生きていくために何が必要かを考えたい。マイナスのものをなんとかしようというのではなく、ポジティヴ心理学が大切だ。

ちばキャンプ3 研修 伸二アップ

 予定の時間ぎりぎりまで研修は続きました。このときの話し合いがベースになって、キャンプが始まります。
 昼食をとっていると、参加者がぼちぼち集まり出しました。午後1時、渡邉さんの挨拶で、ちばキャンプが始まりました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/3/24