2017.12.1 千葉市立院内小学校ことばの教室で


 これまで20回近く、横浜で行っていた吃音相談会が終わり、その代わりに、千葉で相談会を行うことになりました。その第1回目が、昨年の12月2日でした。前日の12月1日に千葉に入り、その日の午後、院内小学校のことばの教室のグループ学習におじゃましました。

千葉 院内 伸二と子ども

 自己紹介をした後、事前に考えていてくれた、子どもたちからの質問に答える時間になりました。

1.どもりの種類は、連発、難発、伸発とあるけれど、他にもあるのですか。

 ことばの教室で、どもりについて学習している子どもならではの質問だといえます。でも、答える前に、なぜ、こんな質問をしたのか、本人に尋ねてみました。すると、自分のどもり方が、この3つの分類のどれにもあてはまらないからだと言います。その子のどもり方は、たとえば、「あの…ね、ぼくは」となって、語頭ではなく、語の真ん中、途中でどもるらしいのです。だから、ずっと、自分のどもり方は、何だろうと疑問に思っていたようです。背景が分かったので、僕は、次のように答えました。
 
伊藤 これは、中阻性吃音と言います。多くは、語頭で繰り返したり、第一音が出なかったりしますが、語の途中でどもることもあります。
 自分のどもり方に、ちゃんと名前がついていることを知った子は、安心したようです。担当の先生方も、「そんな種類があるのですね」と驚かれていました。

2. どうして、そういうしゃべり方なの? どうしてそうなったの?と聞かれたとき、どう返したらいいですか。どう答えたらいいですか。

伊藤 この質問に正確に答えられる人は誰一人いないでしょう。答えられたら、ノーベルどもり賞がもらえるかもしれません。「分からない」が、今のところ、正しい答えでしょう。ずっと研究している研究者であっても、どうしてどもるのか、こんなしゃべり方になるのか、原因も、どうしてこんな話し方なのかも答えられる人はいないのです。君に、そう聞いてくる子はどんな子ですか。もし、君に興味をもって聞いてくれるのだったら、ことばの教室で学習したどもりについての話をして説明すればいいですね。そのために、何を、どのように話すのか、準備しておくといいですね。
 これは、保護者からもよく受ける質問です。答えは、同じです。どうしてどもるのかは分かりません。でも、聞かれたとき、あわてないで済むよう、準備しておくといいでしょう。

3. クラスの子に、どもることを伝えたいと思うけれど、どうやって話せばいいですか。

伊藤 どもる子どもが、こういうことを考えているということ自体、不思議であり、すごいなあと思います。大人でも、自分のどもりを隠してごまかして知られないようにしている人がいます。それに比べて、この子どもたちの潔さは、清々しく感じられます。みなさんが作ったパンフレットやキャラクターなど、ことばの教室で学習したことを見せながら、伝えたらいいですね。
 大事なことは、どんなに一生懸命伝えても、分かってくれる人もいればそうでない人もいるということです。それは仕方がないことです。でも、分かってくれる人は絶対にいるので、分かってくれない人がいてもあきらめずに、伝えていきましょう。その時、かっこいい、説明の仕方をことばの教室の先生と相談しながら、考えて下さい。

4. 僕は、どもることを悪いことだとは思っていません。伊藤さんは、どう思っていますか。

伊藤 僕はどもりに悩んでいるときは、どもることを悪いことだと思っていました。今は、すばらしいとは思っていないけれど、悪いことではないと思っています。そう思わないと、しゃべれなくなるし、講演など引き受けられないです。自分がどもることは悪いと思っていたら、周りの人も悪いことだと思ってしまいます。わくわくしたり、どきどきしたり、気持ちが表れているときにどもることがありますが、それは悪いことではありません。

5. どもったときに恥ずかしいと思ったことはありますか。

伊藤 21歳までは、どもった時は、いつも恥ずかしかったです。大好きだった卓球部も、高校の時、自己紹介があるからと辞めてしまいました。21歳までは、恥ずかしい、悪いものだと思っていたので、逃げてばかりで、損な生き方をしていたなあと思います。21歳からは、恥ずかしいとか、悪いとか思うことはやめようと決めました。

6. 小・中・高と、どもることを分かってくれた友だちはいましたか。

伊藤 僕は、小学校2年生のときから、どもりに悩み始めて、それから友だちがひとりもいませんでした。どもっている僕のことなど誰も分かってくれないと思い込んで、友だちの輪の中に入るということをしなかったからです。もし、僕が自分から入っていっていたら、分かってくれる子はいたかもしれません。勝手に、「どうせ僕はどもるから、どうせ僕なんか」と思っていました。中学時代の同窓会に行ったとき、「みんなは僕のことなど覚えていないと思うけど…」と挨拶したら、後で、「私は、伊藤さんのことを好きだったのよ」と言ってくれた女の人がいました。話しかけにくかったらしいです。友だちがほしいなら、ほしいという雰囲気を出したり、話しかけていたら、友だちはできたかもしれません。理解してくれる人はいたかもしれません。あなたは、あなたのことを理解してくれる友だちがいっぱいいるんだね。うらやましいなと思います。

7. どもりの歴史について教えて下さい。どもる人は、いつ頃からいたのですか。

伊藤 こんな質問を子どもから受けるのも、珍しいことです。子どもたちは、いろんなことを考えているのだなあと改めて思いました。
 どもりの歴史は、かなり長いです。紀元前300年、ギリシャ時代にからだが弱く、ひどくどもっていたデモステネスが政治家になって大雄弁家になったと書かれています。ことばでお互いの意思を交流することを始めたころから、どもる人はいたことになります。
 その長い歴史の中で、どもる人は、ときに悩み、苦しみながら、立派にどもりと共に生きてきました。歌舞伎にも、どもる人の話が出てきます。

 それを聞いて、どう思うかと、本人に尋ねると、「どもりって古くから英雄とかも悩ませてきたすごいものなんだと思った」と言いました。なんか誇らしげに言っている姿が、おかしかったです。

 子どもたちからの質問の後、僕は、保護者と話し合いました。
 そして、また、参加者一同が集まって、振り返りの時間を持ちました。

 千葉での1日目、院内小学校での子どもたちとの時間は、新鮮で、楽しい時間でした。僕の小学校時代とは大きな違いがあります。こんなふうに、どもりについて考え、質問し、交流できていたら、もっと勉強し、友だちもつくり、スポーツもして、楽しい小学時代を送れていたと思います。僕の小学校時代は、全く別物になっていたでしょう。なんともいえず、残念です。「どもりが治らなくても大丈夫、楽しく生きられるよ」と、教えてくれる人がいたらなあと思います。この、ことばの教室に通う子どもたちをとてもうらやましく感じました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/3/2