沖縄での「幼児吃音の理解と臨床」の講演の続きです。

 残念ながら、肝心の幼児吃音の取り組みを話した後半が録音されていないので、前半だけの紹介ですが、このような話の流れで幼児吃音について話したのだなあとは、想像できると思いますので、紹介します。
 講演を終えてから、どもる子どもの保護者とその日のホテルの近くで会いました。女の子ですが、絵本を音読してくれました。少し早口で、読みこなしていく感じがしました。感想を求められたので、一音一音を母音をしっかり出して読めばいいとアドバイスしました。そして、実際に僕が読んで聞かせました。竹内敏晴さんのレッスンを長年受けて、芝居にもたくさん出させていただいたことが、こんなところで生かされたようで、少しうれしくなりました。

 沖縄にかなり来ていますが、今回の嘉手納の社会福祉協議会が用意して下さったホテルは、これまで来たことがない地区にあり、「アメリカ村」と言われているようです。ハワイに来ているような感じがしました。
沖縄幼児吃音4 アメリカっぽい町1
沖縄幼児吃音5 アメリカっぽい町2
沖縄幼児吃音6 ワイキキのような浜辺
沖縄幼児吃音7 変わった屋根の家


 では、前回の続きです。ながくなりますが、今回で沖縄の講演会の報告は終わりです。



日本でオープンダイアローグが注目され始める少し前、レジリエンス(回復力・逆境を生き抜く力)が注目されるようになりました。これは、精神医療の世界の大きな転換だと言えます。これまでは、脆弱性といわれる、弱い、悪い、欠陥といわれるものを治そうとする立場だった精神医療が、病気や障害やトラウマになり得る体験がありながら健やかに生きている人がいることに注目し始めたのです。何がその人を健康的にさせるのか、に注目したのです。

 レジリエンス研究の始まりは、ドイツのアウシュビッツの強制収容所に、自分の親が連れて行かれる姿を目の当たりにしていた子どもなど、アウシュビッツ関係の人々が、どういう力があって生き延びたかの研究です。いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)といわれるトラウマになる可能性のある子どもたちがすべてその影響を受けているのではなくて、それなりに健康的に社会的に立派に生きているという研究です。その人たちには、どういう力があったのだろうかに注目し、レジリエンスという「回復する力」に注目が集まり始めました。

 もうひとつ大きなトピックスは、ハワイ諸島のカウワイ島の町で行われた調査研究です。貧困、犯罪、病気、精神疾患などが渦巻いている、極度に悪い環境の中で1955年に生まれ、育った698人の人たちを追跡する調査研究です。劣悪な大変な環境に育った2/3の人は、脆弱性がある、問題を抱えている成人になっていたけれど、1/3は、通常か通常以上の社会的に健康な人間になっていた。その人たちは、どんな力を持っていたから、あれだけの悪い環境の中でも、ちゃんとした大人になっていったのだろうかという研究です。
 また、身体的・性的虐待、ネグレクトなど問題の多い家族に育てられた人々が、逆境に立ち向かう能力を強化する鍵となる過程を詳しく紹介している本や、医療少年院にいる子どもたちの調査もあります。思春期、大変な状況の中で犯罪を起こして少年院に入った人の場合、通常は再犯率が高いが、その後、ちゃんと大人になっていく人たちもいるし、社会的に成功した人たちもいる。一時、非行や犯罪に走ったその人たちがそうした社会人になっていくのには、どんな力があったのか、インタビューを通して、レジリエンスの視点から、立派に成長していった大人を調べています。

 それらの研究の中の一つに、レジリエンスの構成要素として7つの項目を挙げているものがありました。それが、皆さんにお配りしている資料です。
 表になっていて、洞察、独立性などが書かれています。その人たちが、そういうものをもっていたのであれば、問題がない人にも、これらの項目について、幼児期、学童期に、教育や保育の中で育てていけば、仮に逆境などが起こってもそこから回復する力が育っていくのではないかと、7つのレジリエンスを育てていこうとしています。
 これまでの、病的なもの、悪いもの、弱いものを治すという方向ではなく、ポジティヴなものを抽出して、それを育てていくということが必要なのではないかとの考え方ですが、精神医療の世界では、パラダイムシフトと言って、大きな転換をしていっています。

 臨床心理学の世界でも大きな変化が起こっています。1998年にマーティン・セリグマン教授が、アメリカ心理学会の会長の時、年頭所感の中で、これまでの治すための臨床心理学ではなくて、いわゆる普通と言われている人がより幸せに生きるにはどうしたらいいか、病的であったとしてもその中で回復していった人にはどんな力があったのかに、注目していこうと語りました。それがポジティヴ心理学です。弱い部分にメスを入れて何かするのではなくて、その人の、本来もっている力そのものを発見し、それを育てていくという観点で、レジリエンスと共通します。
 このように、精神医療や臨床心理学の世界で、大きなパラダイムシフト、これまで当然だと思ってきたことからの大転換が起こっているにもかかわらず、残念ながら、言語病理学の吃音の世界は、全くこれまでどおりで変わっていこうともしません。私はすでに、45年前から提唱しているので、変わらないことがとても不思議です。

 保育・幼児教育の世界も変わってきています。人間の能力には「認知能力」と「非認知能力」と言われるのがあります。「認知能力」とは一般的には知能検査で測定できる能力のことを言い、「非認知能力」とは主に意欲、自信、忍耐、自立、自制、協調、共感などの私たちの心の部分である能力のことを言います。
 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、アメリカのシカゴ大学の経済学者・ジェームズヘックマンは2000年に『子育てや保育などを含めた教育への投資効果は、経済学的に効果的な時期はいつか』の研究でノーベル経済学賞を受賞しました。就学前の乳幼児時期における教育が最も経済的に効果的だと言っています。

 その研究がとても注目され、幼児教育、保育に大きく生かされようとしています。その研究は、成功する人と失敗する人の、どこにどんな違いがあるのかというものです。成功する人には、粘り強く何かに取り組むとか、自分の力で何かを作っていく、そういう力がある。そういう力は、大人になってからよりは、幼児期に育てた方がいい。だから、経済効果としては、大人になってからお金を使うよりは、保育や幼児教育にもっとお金を使うべきだというのです。経済政策として、保育・幼児教育にお金を使うべきだと主張したことで、ノーベル経済学賞になったのです。
 IQ(知能指数)といわれるものよりも、EQ(情動指数)、つまり、物事に感じたり心を動かされたりすることが、人の成功や幸せにつながるとする考えは、ポジティヴ心理学につながっていくと思います。日本でも、一時、EQがすごく流行ったときがありました。ちょっと下火になってきたけれど、それが今また注目されてきています。

 その能力は非認知能力といわれ、それは子どもの頃から、幼児教育として、育てていくことができる。そちらの方にお金を配分し、育っていった子が立派になって、たくさん給料をもらって、社会的に成功し、税金を払う方が経済的な効果になるんじゃないかという経済学の視点からの主張です。大学教育よりも、幼児教育や保育にお金を使おうというのが、大きな発想の転換になります。2017年度の幼稚園教育・保育の新指針がインターネットで調べたら出てきます。その中に、子どもの頃に、育てておくべき教育指針というのが出てきますので、機会があれば調べてみて下さい。

 ここまでのところをまとめます。今、大きな転換が起こっています。精神医療の世界では、開かれた対話によって今まで重篤と言われていた精神疾患が回復していく、オープンダイアローグが注目されています。臨床心理の世界でも、今までは治すための、癒やすための臨床心理学から、その人のもっているポジティヴな面を育てるためのポジティヴ心理学が注目されています。幼児教育も、非認知能力といわれる粘り強さとか、自分で自分のことをコントロールする力を育てていこうと変わってきています。
 どもる子どもに対して、これまでは、吃音の症状を治す、改善することしか考えてきませんでした。しかし、果たして、それらは、どもる子どもの幸せにつながるのでしょうか。私は、別の力を育てた方がずっと効果的だと考えています。
 これまでのところ、合点していただけましたでしょうか。(ガッテン、ガッテンの声)
 
 何か疑問があれば、わかりにくいことがあれば、質問して下さい。
 ほんとはムーミンノの話をするつもりはなくて、パワーポイントで順番に話をするつもりだったんですが、僕は、パワーポイントがない方が話しやすいので、話し始めたらこんな展開になりました。

 吃音の取り組みは、「放っておいてもその内になんとかなる」ような、単純、簡単なことではありません。僕自身、21歳まで深刻に悩んできたし、小学校、中学校、高校時代と、楽しい思い出が全くないのです。21歳までつらい生活を送ってきました。今、子どもが元気で明るくても、将来、どうなるかは分かりません。

 精神医療、臨床心理、教育・保育の世界が大きく変わっていくのと対照的に、吃音の世界は反対に回り始めています。今から4年くらい前に、北海道で吃音の看護師が、勤め先の病院で自分の吃音が理解されないといって自ら命を絶ったことがきっかけだと思います。吃音は自殺者が出るくらい深刻な問題だ、社会は吃音に対して理解しないし、本人はこんなに悩むものだ。だから症状を治し、改善をしなければならないという流れがどんどん出始めたのです。

 幼児の吃音も、吃音の症状を検査して、それを軽減するために訓練するという、オーストラリア発の「リッカムプログラム」の流れが出始めました。とても残念なことです。
 僕は、45年前にどもりを治す・改善するはほとんど効果がない、どもりを治そうとすることが却ってどもりの問題解決を遅らせる、どもりが治ってから〜しようということになり、なかなか自分なりの人生を生きることができないと言ってきました。僕自身の体験だけでなく、たくさんのどもる人の体験からも、治す・改善することをやめよう、それよりも、豊かに幸せに生きることを考えようと提起して、大きく流れを変えたつもりだったけれど、ひとりの自殺者が出たということを契機に、揺り戻しがあって、今、治すという方向にきています。

 ポジティヴ心理学に関連して前半の最後にエクササイズのようなことをします。
 今年の夏、第28回吃音親子サマーキャンプで、僕は、小学校4年生の子どもの話し合いのグループに入りました。そのとき、どもることで笑われたり、からかわれたりして、学校に行くのが嫌だった、いじめとはいかないまでも嫌なことはいっぱいあるという話が子どもたちから出ました。そこで、僕は子どもたちに、確かにそういうことを言われるのは嫌だし、落ち込むだろうけれども、大きなダメージを受ける場合と、同じことを言われても、まあまあ平気だったとき、案外持ちこたえられた場合があるかどうか、考えてほしいと言いました。つまり、レジリエンスがある場合ということですが。いつもいつも落ち込んでどうしようもなくなるのか、それとも言われても平気なときはあるのか、ということです。

 残念ながら、その子たちは、初めて参加した子が多かったからか、どもりについての対話を積み重ねてきていなかったので、僕の質問の意図がなかなか分かりませんでした。
 そこで、皆さんにお聞きしたいのですが、何か嫌なことがあったとしても、自分がまあまあ耐えられる、元気だというときはないか、考えて下さい。多少のことがあっても持ちこたえられるのは、どんな状況のときでしょうか。

 (参加者の声の一部)
・違うことでいいことがあったとき。
・肉体的に元気、健康なとき。
・自分のいいところを把握している場合。
・人間いいことも悪いこともあって、ちょぼちょぼやと思えるとき。
・自分が幸せで、満たされているとき。
・いいことが続いているとき。
・自分は自分でいいと思えるとき。
・明るいポジティヴな気持ちのとき。
・天候がいいとき。
・悩みを相談する人がいて、その人からポジティヴなことが返ってきたとき。
・ぐちを言う、ストレスを解消できるものがあるとき。
・愛する人といるとき。
・みんなと一緒に生きている、自分は社会に所属していると実感できるとき。
・心に余裕があるとき。
・分かってくれる仲間や友だちがいるとき。
・気持ちに余裕があるとき。
・ぐちを言える仲間、相手、友だちがいるとき。
・楽しいとき。
・生活が充実しているとき。
・自分を受け止めてもらっているとき。
・失敗や問題があっても、同じようなことをした人がいることを知っているとき。
・理解者がいるとき。
・開き直れるとき。
・めちゃくちゃ元気なとき。
・食欲が満たされているとき。
・趣味があるとき。
・共感してもらえる人がいるとき。
・家族が味方だと思えるとき。
・居場所があるとき。
・酒を飲んでいるとき。

 たくさん出てきましたね。皆さんが今、言われたことは、普段の生活の中で、相談できる理解者がいる、愚痴を言える人がいる、熱中するものがあって楽しい、つまり、自分が幸せに生きていればいいということになります。
 それでは、後半、幸せに生きるには、どういうことが考えられるかということと、幼児期の吃音のことに立ち戻って話をしようと思います。僕の話は、世間とは違う話なので、なかなか理解してもらえないかもしれませんが、僕はたくさん本を書いています。会場においてありますので、休憩時間にてみて下さい。よかったら買って読んで下さい。
 では、休憩にします。

 ここで休憩にしたのですが、残念ながら、後半は録音がないので紹介できません。長くなりましたが、沖縄での「幼児吃音の理解と臨床」の話はこれで終わりにします。

 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/02/09