第2回 新・吃音ショートコースが終わりました

 12月9・10日、大阪市立東淀川区民会館で、第2回新・吃音ショートコースを開催しました。 講師をゲストに迎える、様々な領域から学んだ21回の吃音ショートコースが幕を閉じ、参加者みんなで作りあげるスタイルにして、2回目のショートコースでした。
 今回も、決まっているプログラムは、はじめの自己紹介を兼ねた出会いの広場と、発表の広場と、最後のふりかえりだけです。メインのプログラムは、こんなことをしてみたい、これについて知りたいという参加者のリクエストに答える形で組み立てていきました。こんなことをしたい、考えたい、学びたいのリクエストがホワイトボードに記録され、それをみんなで2日間で取り組んでいく、じっくり、贅沢な時間を過ごしました。

 参加人数は19名。自分を変えたいと遠く宮崎県から参加した29歳の青年。当事者研究などいろいろと大学院で学んでいる埼玉県からの大学院生、人生の節目を迎えた愛媛県からの女性。真剣に吃音を、人生を考えたい、語りたいと考える人たちとの出会いは刺激的で、楽しいものです。
 また、全員が発言し、シェアするのにちょうどいい人数でした。ひとつひとつのセッションごとに、また、誰かが出した話題ごとに、全員が感想を伝え合うことができ、それがなんとも言えず、居心地のいい空間を作り出していました。まさに、参加者みんなで作りあげた吃音ショートコースでした。
吃音SC 伸二
吃音SC 伸二とみんな
 セッション1の自己紹介がひととおり終わり、セッション2は、今、職場で起こっている人間関係に悩むホットな話題でした。
 僕の論理療法を経験したいというリクエストもあり、この話題には、論理療法的に関わりました。僕の論理療法は、いたってシンプルです。ABC理論のA(出来事)について、丁寧に聞いていきました。また、その出来事が引き起こしたC(結果)も、丁寧に聞いていきました。そして、B(考え)です。参加者みんなが、それぞれ自分の仕事場での人間関係について、自分の体験を重ね合わせていたようです。
 嫌なことがあると、どうしてもそこがクローズアップされます。それしか見えません。バートランド・ラッセルの言う、自己没頭です。それは、幸せに生きることにはならず、不幸になります。自分が幸せに生きること、それを大切にしようという最終結論に、話題を提供した人も、みんなも納得でした。
 変えることができるものは変えていく勇気をもとう
  変えることができないものは、受け入れる冷静さをもとう
   変えることができるかできないか見分ける知恵をもとう
 論理療法も考え方を変えるだけではありません。Aの出来事を変えることも考えます。何が変えられるか、何を変えた方が自分が幸せに、気分良く生活できるかを考えるのですが、論理療法をグループで行うことで、仕事場での他の人の経験を聞くことができ、何を変えることが一番適切かが明らかになっていきます。話題提供者もとても納得してくれたし、論理療法の実践編を久しぶりにできた僕にとっても、新鮮な気持ちでした。

 セッション3は、発表の広場です。今回は2人が発表しました。
 1人は、これまでの吃音ショートコースで学んできた様々なことを整理・分類し、共通項をみつけ出したと提示してくれました。<対等性・今ここ・私もあなたもOK>の3つです。この基準があれば、変な療法にはひっかからないはずだと、力強くまとめていました。
 もう1人は、<吃音があることの有意味性>について日頃考えていることを話して下さいました。どもることでこんなことで困っているなどはよく聞きますが、普段、それほど深く考えていない吃音の有意味性にスポットを当てた話でした。まさに、今回のというより、常にですが「吃音哲学」そのものでした。

 発表の後に、第20回となった、ことば文学賞の発表を行いました。入賞作3編とも、仕事がらみの内容でした。3編を読み上げ、みんなで作品を味わいました。その後、作品に関して、全員がコメントしました。それは、見事なものでした。参加者の中に、受賞者がいたので、賞品と賞金を、会長の東野晃之さんが渡しました。私たちの発行する月刊紙『スタタリング・ナウ』でその作品は掲載されます。
吃音SC  丹さんと東野さん
 公式プログラムが終了したのは、午後8時45分くらいでした。その後、会場を移して、懇親会を持ちました。このお店は、参加しているメンバーが30年来行きつけのお店でした。おいしいイタリアンをいただき、またそこでもたくさん話しました。参加者のほぼ全員が懇親会にも参加したということは、公式プログラムでの経験がよかったということなのでしょうか。
吃音SC 懇親会
 翌日、何の迷いもなく、確かめもせず、開始を9時と連絡したので、みんな集まってきました。しかし、会場が使えるのは、午前9時30分からでした。ロビーで、昨夜の続きの、ことば文学賞の川柳・短歌部門の発表を行いました。
 9時30分、会議室に入りました。
 そして、宮崎県から参加した人の話からスタートしました。この人は、中学校のとき通っていたことばの教室の先生からの紹介で、今回ショートコースに参加しました。ことばの教室の先生とは、古くからのつきあいです。ずいぶん前に、通級している子どもを連れて、吃音親子サマーキャンプに参加したことのある先生でした。月刊紙『スタタリング・ナウ』」もずっと読んでいてくださって、何かあると電話をかけてくれます。
 29歳の青年が吃音を認められず、仕事についても悩んでいる、なんとか力になりたいとの連絡をいただいたとき、この吃音ショートコースへの参加を勧めました。参加してくれたらいいのになあと思いつつ、吃音と向き合いたくないとの話も聞いていたので、多分参加しないだろうと思っていました。ところが、すぐに本人から電話があり、参加したいと言ってくれて、よかったと思いました。中学校のときに、ことばの教室に通っていたそうです。今彼は、29歳なので、15年くらい前のことです。それからずっとつながっていて下さったということ、小学校にあることばの教室を退職してずいぶんと時間が経っているのに、どもる人と関わって下さっていることに、感謝の気持ちでいっぱいです。「吃音を治す・改善する」立場の人だったら、とてもできないことだろうと思います。

 彼の悩みは、仕事のことです。大きな音のする環境の中で、大きな声で品名を言わなければいけないのが辛いと言います。当事者研究風に、話は進んでいきました。その中で、今の仕事ではなく、もっとしたい仕事があるかもしれないと、話は進展し、就職活動はなかなか厳しい中でも、自分のしたいことを追究していくのが一番だとの話になりました。
 仕事場で大きな声で言うことがどもって苦しいという当初の話から、将来の、それもここ3年ほどの具体的な計画にまですすみました。生活の糧としての仕事と割り切ることもあっていいし、生きがいを別に求めるのもいい、何が向いているのか分からないなら、まずアルバイトでいろいろ試してみてもいい、などたくさんのメッセージが彼に届けられました。

 午後は、リクエストの多かった日本語のレッスンです。日本語の発音・発声の基本を学んだ後、「津軽海峡冬景色」に取り組みました。詞を読み、みんなで歌い、ひとりずつ歌いました。この歌は、よく竹内敏晴さんが、レッスンで使った歌です。母音を押す、一音一拍ということの実践として最適の歌のようです。
 その後、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」の話を2つのグループに分かれ、役割を分担して読みました。遠慮がちに読んでいる人には、ほんの少し、後押ししました。2組に分かれて練習したので、隣の人の声に触発されて、普段聞いたことのないような声を出す人もいました。自分の声はこんなもの、と決めつけないで突破すると、意外な自分の声をみつけることができると実感しました。最後に、グループごとに発表しました。いい声が出てきた人が多く、うれしかったです。
吃音SC レッスン1
吃音SC レッスン2
 最後のセッションは、みんなで語ろうでした。参加しての感想を一言ずつ話していきました。会議室を元に戻し、ふりかえり用紙に記入して、終わりました。
 参加動機の高い人たちが参加し、話題提供に対して全員がレスポンスし、日本語のレッスンで声を出す楽しさを味わう、というバラエティに富んだ、濃密なショートコースを終えることができました。

 吃音の夏や吃音の秋の疲れが出たのか、僕は、声もかすれ気味でしたが、なんとか最後までもちました。ひとりの話題提供に対して、丁寧に誠実に、ゆったりかかわることができ、本当に幸せな気分になりました。普段の金曜日の大阪吃音教室では時間制限もあり、なかなかこうはいきません。大阪吃音教室とは違った、奥の深い吃音の世界を味わうことができました。

 暮れも押し詰まった日程でしたが、来年は時期を少しずらして第3回を行いたいと計画しています。今の候補は、6月頃を考えています。今回、参加できなかった方、ぜひ、来年はご参加下さい。お待ちしています。

日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2017/12/22