寝屋川地区更生保護三団体研修会


 10月5日、寝屋川市立総合センターで、寝屋川地区更正保護三団体研修会があり、「吃音を生きて、見えてきたこと」のタイトルで講演をしました。参加者は、100名くらいと聞いていました。
 ここで、お話することになったのは、昨年の6月、大阪府人権擁護委員会連合会総会で講演をしたことがきっかけでした。大阪府人権擁護委員会連合会総会での話は、僕たちが、写真やビデオのことでとてもお世話になっている西邨定実さんから依頼があったからでした。

 西邨さんは、本当に不思議な人です。人がいいを通り越して、良すぎるというか、底抜けにいい人です。パソコンやビデオ、撮影、写真などに強くて、僕たちの間では、「困ったときの西邨さん頼み」ということばがあるほどです。枚方市体育協会の会長で忙しいはずなのに、撮影を頼まれたら出かけていったり、夕陽をみるために大型の車の運転をしたり、法務局で電話当番をしたり、何をしている人?と言いたくなるくらい、幅広い活動をされています。

寝屋川保護司会 伊藤起立

 さて、今回の研修会、保護司会、更正保護女性会、BBSとの3者の合同研修会でした。犯罪を犯し、罪を償った人や仮出所した人の更生を支援する仕事だと思っていましたが、講演の前に少しお話をお聞きすると、もちろんその側面もあるけれど、犯罪の予防ということも考えているのだということでした。それをお聞きし、急遽、話の内容を変更しようと思いました。
 保護司として出会う人の中に、どもる人もいるだろうから、吃音について知っておきたいというのが、私が話すきっかけのようでしたが、吃音についての話はとっかかりにするけれど、犯罪を犯した人との面談、非行予防を、門外漢ながら、少しは話せるだろうと考えたからです。
 それは、僕が非行少年になるかならないかぎりぎりのところで生活をしていたからです。僕の市にもあった、少年鑑別所を常に意識して僕は思春期を生きていました。

 中学生の頃、吃音に深く悩んでいた僕は、家出をしたり、映画館に入り浸ったり、夜はほとんど家にいないで夜の町、海岸をひとりでさまよっていました。学校には友達はなく、家でも母親に反目していた僕には、家庭にも学校にも居場所がなかったのです。一歩間違えれば、非行に走っていただろう、少年院に入っていたかもしれません。そう思うと、何かの弾みで犯罪を犯してしまった人を援助している仕事をされている保護司の方を心から応援したくなります。そんな自分の体験を冒頭に話しました。

 吃音のことは、あまりご存じないだろうと思い、斉藤道雄さんが制作したTBSの「報道の魂」を見ていただいて、吃音とはどういうものか、ある程度知っていただいた上で、僕の体験を話し、そこから得たものを話すつもりでした。オープンダイアローグ、レジリエンス、そしてポジティブ心理学と話を進め、対等であること、無知の姿勢で、対話をすること、それがきっと相手に届くことなど、伝えようと思っていました。

 初め、DVDも、パソコンも調子が悪く、予定どおりにはいきませんでした。話をつないで、ようやく何分か遅れて、DVDを見ることができました。パワーポイントも用意していましたが、それを全く使わず、参加者に語りかけるように、話をしていきました。やはり、このスタイルが僕には合っています。足りない部分は、お配りした資料で補ってもらえるでしょう。

寝屋川保護司会 伊藤起立2
寝屋川保護司会 会場と伊藤 ラスト
 
 更正保護にかかわる仕事をしておられる方が、こんなにもたくさんいらっしゃることも、今回初めて知りました。大阪府人権擁護委員会連合会総会で話をしたのを聞いて下さった更正保護女性会の方が西邨さんと知り合いだったことで実現した今回のお話。こんなところで、話をする機会を得られたのも、もともとは、西邨さんのおかげです。
 人と人との縁、どもりとのありがたい縁を思います。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/10/09