大阪吃音教室 9月29日(金)〜櫛谷宗則さんをお迎えして〜
   法話  吃音を新しいいのちの明るさで生きる

 昨年に引き続き、新潟県五泉市にお住まいの禅師、櫛谷宗則さんをお迎えします。
昨年は、「自己の存在価値を自身の中に見出す」とのタイトルで法話をしていただきました。どもる、どもらない、治る、治らない、を超えた深い、吃音のもつ豊かな世界を明るく照らしていただいたように思います。今回も、大阪での坐禅の会の前日に来ていただけることになりました。ひと味違う講座をお楽しみ下さい。

◇櫛谷さんプロフィール◇
 昭和25年、新潟県五泉市の生まれ。19歳の時、内山興正老師について出家得度。以来安泰寺に10年安居し、老師隠居後は近くの耕雲庵に入り縁ある人と坐る。老師遷化のあと、新潟に帰り、地元や大阪等で座禅会を続けている。
 著書 「禅に聞け」「生きる力としてのZen」「内山興正老師いのちの問答」(大法輪閣)「共に育つ」(耕雲庵)

 
マインドフルネスが流行っています。ストレス軽減に役立つ、健康によい、仕事が能率よくやれる。人間の役に立つことは、勝った負けた、得だ損だ、良いだ悪いだの世界で役に立つことです。でもそういう人類の営み、私の人生は、何の役に立っているのでしょう。只美しい地球や人生を荒らしているのではないでしょうか。何の役にも立たないということは、人間のモノサシでは量れないということ。量りきれない寿(いのち)、量りきれない光、それを純粋に頂く姿勢が坐禅です。だから、坐禅の功徳は、無の功徳です。何にもならないという無の輝きのなかに坐るのです。考えてみると、私が生まれてきたということそのものが説明のつかないこと、不思議という他ないことです。そしたら、そのあとに展開される出来事はみな不思議という他ありません。この身体は私のモノでは無く、この世に私のものなど何一つ無いでしょう。その天地一杯のいのちが息吹きのように、坐禅みずからがただ坐るなかに安らいでいます。きのう死んでもおかしくない私が、今日いのちを賜っている。そのあり得ない真実が私を坐らしめています。今ただこのようないのちにある。それを私が向こう側に見て知るのではなく、自分を手放すなかにそれを成らしめられていくこと。その方向を深く心に刻みつけることが正念(マインドフルネス)です。   (9月30日・10月1日 ブレマ・サット・サンガでの坐禅の案内より)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2017/09/14