第2回吃音親子キャンプinおきなわ 1日目
開会式・出会いの広場・勉強会


2回沖縄キャンプ 横断幕

 受付は、9時30分。少しずつ人が集まってきて、入所の集いの頃にはほぼそろいました。主催g者の平良和さんのあいさつ、参加者を代表して、中学生の女の子とその父親のあいさつ、そして、僕も歓迎のあいさつをしました。カラーの横断幕をバックにして、みんなで、集合写真。大きなファミリーのようです。
2回沖縄キャンプ 開会式伸二挨拶
2回沖縄キャンプ 集合写真撮影前

 その後、大研修室で、出会いの広場が始まりました。オープニングは、三線(さんしん)の演奏がありました。参加者を代表して挨拶した父娘によるもので、すてきな音色と歌声に、沖縄に来たんだという思いでいっぱいでした。
2回沖縄キャンプ 出会いの広場 三線

 じゃんけんゲームをいくつかして、最後はじゃんけん列車をしました。鹿児島から参加した溝上さんが最後の2人というところまで残っていました。最後には、大きなひとつの輪ができました。

2回沖縄キャンプ 出会いの広場 ジャンケンゲーム
2回沖縄キャンプ 出会いの広場 ジャンケン列車

 次は、3人組になって「リスと木」。僕たちは、「嵐、嵐、大嵐」と呼んでいるものです。「リスが怖いものは何でしょう」の問いかけに「ハブ!!」という答え。さすが、沖縄です。3人全員が動くとき、僕たちは「あらし、あらし、大あらしー」と叫びますが、リスと木の両方が怖いものは、台風だそうです。沖縄バージョンのゲームでした。
 みんなで動き回った後は、グループに分かれ、よく知っている歌を歌いながらのパフォーマンスです。ことばの教室の担当者が中心になって、どのグループも、短時間に完成させていました。「どんぐりころころ」「ちょうちょ」「キラキラ星」「ぶんぶんぶん」「うみ」の5曲でした。進行役をして下さった若い言語聴覚士さん、緊張しながら、担当されたようですが、十分、参加者の気持ちをときほぐしてくれました。

2回沖縄キャンプ 出会いの広場 歌で表現

 プログラムとプログラムの間の30分の沖縄スタイルの長い休憩をもてあましていた昨年と違い、そんなものだという沖縄モードに慣れてしまっていた僕たちです。
 昼食は、ソーキそばとおにぎり。炭水化物を控えている僕には少々酷なメニューでした。沖縄ならではの歓迎メニューなのでしょう。
 午後のプログラムは、子どもは、専門学校の学生さんたちとレク。親とスタッフは、僕が担当する吃音の勉強会です。この時間は、質問をまず全員に書いてもらい、それに答えていく形をとりました。これは、最近、よく使っている、僕の好きな形です。僕の話を聞くのが初めてという人が7〜8割ほどだったので、質問に答える前に、自己紹介もかねて、僕のこれまでの人生を伝えました。
2回沖縄キャンプ 勉強会全体
2回沖縄キャンプ 勉強会伸二

 「どもっていても元気だった僕が、小学2年生のときから悩み始めました。それはなぜでしょう」
 こう問いかけると、友だちから、どもることをからかわれたから、大きなストレスがあったから、まねされたから、いじめられたから、などの答えが出ました。
 僕は、そういうことなら耐えられたのではないかと思っています。僕が、2年生から悩み始めたのは、担任から、学芸会でせりふのある役を外されたことによります。
 「なぜ、担任は、僕をせりふのある役から外したのでしょうか」
 この問いかけには、どもって時間がかかったら困るから、どもって恥をかいたらかわいそうだから、劇をスムーズに進行したいから、一人で言うより3人で言った方が僕にとっていいだろうと思ったから、などの意見が出ました。教師のいじめとは考えたくありません。でも、教育的配慮であったとしても、僕は、このとき強烈に、どもりは悪いもの、劣ったものだというメッセージを受け取ってしまいました。これは、後々まで、僕の生き方を支配しました。
 21歳のとき、僕に転機が訪れました。どもりが治ったわけではありません。治ると宣伝する矯正所で必死で訓練したけれど、治らなかったので、どもりは治らないものだとあきらめがついたのです。そして、どもりながら豊かに生きていくという道を僕は選びました。どもる覚悟ができたのです。
 吃音は、それと共に生きていけるよう、基本設定されているものだと最近考えるようになりました。紀元前から生き残ってきた吃音です。今、吃音を生きて、不都合はほとんどないのですから、人間は吃音と共に生きていけるようになっているのだと、考えてもいいと思います。
 そして今、精神医療、福祉の世界が大きく変わってきています。疾病生成論から、健康生成論への変化は、僕にとってある意味、当然のことでした。吃音について、ネガティヴな側面ばかりを考えるのではなく、「たくさんのどもる子どもや、どもる人が、吃音を認めて生きることができるようになった」ことを考えた方が、建設的です。50年近く僕がどもりについて考えてきたことと、驚くほど似た構造だったのです。ここまでを前提として話した後、書いた下さった質問に答えていきました。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/06/01