奈良での、第4回関西当事者研究臨床研究会で、向谷地生良さんから興味深い話を聞きました。

 べてるの仲間が3人来ていたのですが、そのひとり亀井さんの話です。
 亀井さんは幻聴がよく聞こえてくるのですが、その幻聴の声と、自分の考えはつながっていると言います。それに気づいたのは、幻聴で聞こえたことをメモしていて、自分の考えや気持ちに非常に共通すると気づいたのだそうです。自分の気分がいいときには、楽しい幻聴が聞こえます。気分が悪いときには悪い幻聴が聞こえるのです。べてるの家で、「当事者研究」をしているからこんなことに気づけたのでしょう。僕は、幻聴とは、自分の気持ちや考えとは全く別のものだと思っていたので、この話は新鮮でした。

 気分がいいときには、気分のいい幻聴が聞こえてきます。幻聴さんが、「死ね死ね」と言ってくるから、幻聴さんは悪い奴だと考えていたけれど、実は、それは自分の気持ちや考えが反映していたということです。ということは、自分の考えや、気分が変わればいい。そしたら、幻聴さんは自分を励ましてくれるというのです。

 スタンフォード大学で、アメリカの人とインドの人に、「どんな声が聞こえますか」とインタビューしたら、いわゆる先進国の統合失調症の人が聞いている声は、いかにも質が悪いそうです。反対に、まだ人と人とのつながりや、豊かな自然のある地域に住んでいる人はそんなに悪い幻聴ではない。ローカルカルチャーに影響を受けているというのです。

 ローカルカルチャーを変えることで、その人の幻聴が変わる可能性があるのであれば、その方向での研究も可能です。統合失調症は治っていないし、幻聴も聞こえてくるけれど、自分や周りを傷つけるような悪質な幻聴ではなく、楽しいとまでは言わないまでも、気分が落ち込むような幻聴でなければ、幻聴と共に生きやすくなります。すると、亀井さんの幻聴が機嫌よくなるためには、亀井さんの生活している場を居心地のいい場所にするということになります。

 向谷地さんと亀井さんのこの話を聞きながら僕は、1975年に行った僕たちの調査研究の結果と同じだと思い出していました。全国35都道府県、38会場での全国吃音巡回相談会の時、「どもる人の悩みの実態調査」も併せて行っていました。質問紙とインタビューを合わせての調査でしたが、その時のひとつが、
 「吃音に悩んだ程度と、吃音の症状の程度を年代別にグラフに表して下さい」でした。
 吃音に悩んでいた時期と、吃音の程度が自分で重いと考えていた時期とが、必ずしも一致しないのです。当時、かなりどもっていたのに、あまり悩まずに、苦労もなく元気だったのはなぜなのかを、インタビューなどで聞いていくと次のことが挙げられました。

 ・クラスや職場の人間関係がよかった
 ・熱中して取り組むものがあった     
・家族との生活がとても楽しかった
・とても仲の良い友達がいた

 ことばを変えれば、機嫌良く生きていたときは、吃音の状態がよくなくてしゃべりにくかったけれど、吃音にあまり困ることも悩むこともなかったというのです。

 日本音声言語医学会で、その実態調査結果を、「吃音症状の治療・改善」だけが、どもる人の悩みや苦労を解消する唯一の対策ではないと報告しました。
 どもる人の人間関係をよくする。熱中できるものをもつ。機嫌良く生活する。これらは吃音と関係なく取り組めるものだとして、「吃音はどう治すかではなく、どう生きるかの問題だ」の提起をしたのは、このような大がかりな「どもる人の悩みの実態調査」がベースになっているのです。なんか、このようなことは、調査研究を待たなくても、当たり前のことのように思います。つまり、吃音の取り組みはとてもシンプルです。
 向谷地さんと亀井さんの話から、40年以上前の調査研究を思い出せたのはうれしいことでした。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/03/22