ナラティヴ・コロキウム一日目 3月4日

 午前中のワークショップは選択制です。6つあるワークショップのどれに参加してもいいと思っていたし、随分前に申し込んだため、どれに申し込んだか記憶がありませんでした。ナラティヴ・コロキウムの3週間前くらいに、事務局からメールが入りました。講師の野村直樹さんから「ベイトソン・セミナー」に参加する人は、事前に「サイバネティックスの説明法」の論文を読んでおくようにとの指示があったという連絡でした。

 そのメールを見て、そうか、「ベイトソン・セミナー」に申し仕込んでいたのか、と知ったという何とも情けない話です。申し込みの時点では事前学習が必要だという記載はなかったので慌てました。

 ベイトソンについては関心があったから申し込んだのですが、まだ本も、論文も読んだことがありません。ナラティヴアプローチやオープンダイアローグとの関係で、勉強しなければとは思っていましたので、アマゾンで『精神医学の生態学』を買おうと調べると、中古の安いものでも16,000円です。読む前から気軽に申し込める金額ではありません。大阪府立図書館で借りてきました。すごい大著です。

 指示の「サイバネティクスの説明法」はそれほど長いものではなかったので、ワークショップまでには読めると思っていたのが、大違いでした。とても忙しい時期だったのでなかなか時間がとれませんでした。それでも、ある程度理解してから参加したいと思ったのですが、結局、行きの新幹線の車中で一所懸命読むだけに終わりました。当然かもしれませんが、さっぱり頭に入ってきません。

 ところが別の章の、「自己なるもののサイバネティクス」の論文には、アルコール依存者の世界観と、アルコホリクス・アノニマス(AA)のセルフヘルプグループの哲学がテーマです。「アルコール依存症の理論」は僕にとっては馴染みのある領域なので理解できます。「サイバネティクスの説明法」を読むと前に進まないので、ついそちらに目がいってしまっていました。それでも新幹線の車中で何回か読んでいると、何か分かってきそうな感じがしてきます。もっと早くからこっちの論文を読めばよかったと少し思いましたが、いやいや、時間があっても無理だったろうと思います。そして、一応は読んだことで自分を許して、参加しました。

 ワークショップは和室で25名ほどが丸くなって始まりました。まず参加者の一人一人が自分の研究・実践領域を含めて自己紹介をしました。僕だけでなく、参加者のほとんどの人が難しさを言っていました。僕だけではなかつたと、少しはほっとしました。
 はじめに、野村さんがベイトソンの魅力について話されました。野村さんの著書『やさしいベイトソン』から少し引用します。

 「グレゴリー・ベイトソンこそ、デカルト的二元論を越えた科学の全体像を提示できた二十世紀最大の思想家である」と、モリス・バーマンは評価している。
 「科学は、事実の客観的な把握を第一目標に置き、美や神秘の世界、夢やアニミズムなどからは距離を取る。精神VS身体、意識VS無意識、自己VS他者、人間VS自然などの二元論は、不自然だ。今日の環境危機や人間生活の歪みの多くも、本来分けてはいけないものを分けて考えてきた思考方法と関連がある。デカルト的思考方法を端的にくくれば、二項対立を前提とし、直線的目的論に突き動かされ、自己をモノ化する傾向をもつ」

 このような話を野村さんが、もう少し分かりやすく話して下さいました。僕は終始、吃音について、吃音を哲学、生き方の問題だと考えるのと、あくまで吃音はない方がいいとする、アメリカ言語病理学との比較を頭に入れて話を聞いていました。
 その後は、ベイトソンをテーマにしての参加者全員の会話集会が始まりました。二人がこの論文を読んで考えたこと、感じたことを発表し、それをもとに話し合いが続きます。参加者のみなさんが、どんどん発言していくのには驚きました。「アルコール依存症の理論」の章だったら、僕も会話に加われたのにとは思いました。でも、具体的な内容なので、かなり分かりやすくそれなりにベイトソンに近づけた思いはしました。

 吃音の現状をベイトソンの「サイバネティクスの説明法」で説明できる気が少ししてきました。2時間30分のセミナーの中では当然分からなかったのですが、少なくともベイトソンに強い興味をもつことができました。『精神医学の生態学』という大著に出会え、その中の「アルコール依存症の理論」は理解できそうなので、一番取っつきやすいこの論文をしっかり読み込んで、ベイトソンの全体像に少しでも近づけるのではとの可能性を感じたのは大きな収穫でした。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/03/14