大阪スタタリングプロジェクトの忘年会 

忘年会の後、幹事をした僕たちに、メールで何人もの人が感想を送ってくれました。その中から、2人のメールを紹介します。坂本英樹さんと藤岡千恵さんのメールです。

坂本さんのメール
 運営委員の皆さん、忘年会についての感想を少し。
 まず、2人組の演奏に感謝です。生演奏でこの年でクリスマスソングを歌えるなんて、贅沢なことです。来年もよろしくお願いします。特に井上さんには、今年はギターだけでなく、機材等で頑張ってもらいました。感謝です。
 Tさんに、「いつも、なんとかなってる」と私が言ったとのことですが、Tさんはいつもうまくいっていないという話をよくされます。でも、そんな話から伝わるのはそれでもなんとかやっているTさんの姿です。それはTさんのレジリエンスかと思います。

 Aさんとは沖縄でご一緒しました。そこでの話し合いで吃音をめぐる自分と家族との関わりを語ってくれました。成人が当時を振り返って、そして今はどう感じているかという話は参加者にとって、意味ある話だったと思います。その後日談が伊藤さんのブログに紹介されていますが、沖縄行きがAさんの家族との物語を豊かにしていることが伝わる内容でした。そんなAさんのスピーチが聞けて、よかったです。

 そして、Oさん。初めての機関紙の編集を無事終えられての忘年会。まずはぎりぎりまで粘っての編集に感謝です。体調が悪い中、ありがとうございました。きれいにできています。

 私にとって今回の忘年会は、Nさんの衝撃の報告!?という話もありますが、Oさんの小3の作文でした。「(作文の内容が)嫌で、破ったと思っていたので、残っていないと思っていた」と席にいた時、話していましたが、それは多分、破りたかったという思いは確かにあったものの、一方で当時のOさんはあの作文が自分にとって大事なものであると感じていたので、そのままにしておいた。でも、見たくないという思いもあったので「破いた」というような記憶が作られたのかなと、(すいません)勝手に解釈しています。それをあの場で披露しようと考えてくれたことが嬉しいことです。あの作文から発見されたのは、今と同様、小3のOさんも吃音とともに生きていた、サバイバルしていた。そして、そんなOさんをちゃんと見ていた、認めていた人がいたということです。
 私は、教員の仕事は、子ども、生徒、学生の、頑張りという言葉はあんまり好きではないですが、何かすることをそれと認め、証しすることだと考えています。私はそんな生徒の姿をおもしろいと感じ、逆に励まされてきました。Oさんの作文に感じたのはそんな担任とOさんの関係です。
 あの場にいられたことは幸せなことでした。
 みなさんと一緒のこの一年、人生を深く、濃く味わうことができました。
 では、みなさん、良いお年を! 来年もよろしくお願いします。

藤岡さんのメール
 伊藤さん、今年も忘年会の企画をありがとうございました。
 大阪吃音教室の忘年会は、笑いも涙も心が動くことも、人生のすごく贅沢なところを一晩でぎゅっと味わっている感じがします。
 坂本さんがOさんへのコメントで言われたコメント、出会いと経験によって過去も変わること、そこに立ち会えること、まさにこれが一番の醍醐味なんだと感じました。
 それに今年は、IさんとSさんのギターで歌うというサプライズもありました。仲間の演奏で歌う歌は格別です。幸せすぎですね。

 時間に限りがあるスピーチですが、本当にみなさん(私も含めて)あの場で話すことが大好きで、それを聞いてくれている感じがとてもうれしいです。あの場に立つと喋りすぎてしまう気持ちが本当によくわかります。あの場で話すことを、みんなが「聞いてくれている」という感じ、たまらなくうれしいです。

 前日の大阪吃音教室に初めて参加された2名の方が勇気をもって参加して下さったこともうれしかったですね。その一人、Yさんが、会場のカフェ・グッデイズに入った瞬間「素敵な雰囲気ですね!」と言われていました。あのあたたかい照明や木のぬくもり、どことなくゆるい雰囲気、私も大好きです。
 Mさんがあの場にいて、しかもトップバッターで、今Mさんが生きている世界の豊かさについて語ってくださったこと、Hさんが育児と仕事を両立しながら元気に頑張っておられること、Oさんがあの場で小3の時の作文を聞いてほしいと思った気持ち、Oさんの思いも受け止めていたお母さんと担任の先生、言いたいことをど忘れしたHさんと脇で祈る溝口さん、Mさんのお母様との関係、Tさんの日々是好日、沖縄のキャンプを支えたIさんとAさんなど、書ききれないほど、心が動いたエピソードがたくさんありました。

あの場で以前しんどい心情を語られたKさんの変化もとてもうれしいですし、Oさんが怪我をしたポンポン山をきっかけに山に目覚めて今は登山中毒になって、精悍になったMさんなど、あの場で語られたエピソードが今につながっていること、その時間の流れも一緒に味わえることが本当にぜいたくだなと思います。
 久しぶりに会った人たちも、毎週のように会う人たちも様々ですが、「この仲間と人生を重ねているんだ」と一番思うのが、この忘年会です。

 私は、「私と吃音」についてこれまでの人生を自分の底から掻き出して考えた一年でした。全てを吃音のせいにしていた長い歴史もありましたが、吃音が私をここに連れてきてくれたと思うと、今、吃音に感謝しかないです。もちろん日々、吃音で不便なことはあり、思うように言葉を発することができない自分に歯がゆく、吃音を腹立たしく思うこともあります。ですが、それをはるかに超える、全く次元の違うところで、「私にどもりがあって、本当によかった」と思える今を生きられていることは、本当に幸せです。
 40年前に「どもりとともに豊かに生きる」を宣言して下さった伊藤さん、そして、それを身をもって体験して人生を歩んでいるたくさんの人たち。同じ時代に生きていることのありがたさを感じます。
 とびきりの時間、ありがとうございました。来年も楽しい一年になりそうな気がします。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/12/31