斉藤道雄さん、向谷地生良さんの文章を紹介しました。今回は、僕のあとがきです。

 
あとがき

 「伊藤さん、吃音の夜明けは近いですよ」

 向谷地生良さんが対談で何度も言ってくださっているのに、「いやあ、そうは思えませんよ」と、私はそのたびに返しています。いかに悲観的だったかがわかります。それが、こんなに早く、「夜明けは近いかもしれない」と少し思えるとは思いもよりませんでした。

 2013年6月10日から13日まで、第10回どもる人の世界大会がオランダで行われ、私は6年ぶりに世界大会に参加しました。
 本書でも紹介した、カナダの治療機関・アイスターの現状。幼児がどもったときに言い直させるリッカムプログラムの広がり。バリー・ギターの統合的アプローチが日本でも紹介されたことで、効果がないにもかかわらず、「完全には治せなくても、吃音に悩む人に、吃音を軽減してあげることが必要だ」との専門家の声が、日本で広がりそうだったから、世界もその流れが強まつているのではないかと思っていました。しかし、アメリカ、オーストラリアはともかく、参加者の一番多かったヨーロッパのどもる人のグループやどもる人個人の生き方、専門家はちがっていました。

 これまでの世界大会が、言語病理学者の基調講演やワークショップが主体のプログラムであったのに比べ、今回は長年セルフヘルプグループで活動する当事者の声が反映されていました。薬物療法やDAF(聴覚遅延ブイードバック)などを使っての吃音治療の発表が姿を消しました。治っていない現実に向き合い、「吃音治療、軽減、コントロール」から、「吃音とともに豊かに生きる」にシフトしているように、私には思えました。

 7つの基調講演のうちの二つが言語病理学者で、5つがどもる当事者である2人の小説家と3人のセルフヘルプグループのリーダーでした。大会会長の大会宣言や、事務局長が伝える毎日のスケジュールの連絡など、会場にはどもることばがあふれていました。吃音をコントロールすることなく、みんな自然にどもっています。どもる人の世界大会だから、当然のことなのですが、こんな印象をもったのは5回の参加のなかで初めてのことです。かなりどもる人たちが表舞台に出ていたことは、どもりが治らないことを見事に表していました。「見ない、聞かない、言わないでいた、これまでの吃音のあらゆるタブーを打ち破ろう」のオランダ大会のテーマにふさわしいものでした。

 最終日、アメリカの小説家キャサリン・プレストンの「吃音とともに生きる」の基調講演は、圧巻でした。「今日の・・、今日の…、今日の…」と、何度も同じフレーズを繰り返して次のことばを出そうとしても声が出ません。困ったような、それでも笑顔を浮かべて「…が出ない」と、小さな声でつぶやく余裕をみせてことばをつないでいきます。話の内容以上に、彼女のどもる声、悪びれずにどもりながら話す姿に魅了されました。

 会場にあふれる、みんなの見事などもりっぷりを耳にして、教育評論家の芹沢俊介さんが私の著書『新・吃音者宣言』(芳賀書店)を、『週刊エコノミスト』(毎日新聞社、200年2月)で「どもる言語を話す少数者という自覚は実に新鮮である」と紹介してくださったことを思い出しました。1997年、私はこのような文章を書いていたのです。

 「治らないから受け入れるという消極的なものではなく、いつまでも治ることにこだわると損だという戦略的なものでもない。どもらない人に一歩でも近づこうとするのではなく、私たちはどもる言語を話す少数者として、どもりそのものを磨き、どもりの文化を作ってもいいのではないか。どもるという自覚を持ち、自らの文化を持てたとき、どもらない人と対等に向き合い、つながっていけるのではないか」(『新・吃音者宣言』176頁)

 私はこれまで3回、世界大会で基調講演をしていますが、今回の「吃音否定から吃音肯定への語りナラティヴ・アプローチの提案」が一番関心をもたれました。2007年、タイム誌で「世界にもっとも影響を与える100人」に選ばれ、日本語でも翻訳されている、アイルランドの世界的な作家、デヴィツド・ミッチェルさんが、大会プログラムに掲載されている私の基調講演の要約を読み、とても共感したと話しかけてくださいました。吃音に対する考えが共通し、楽しい対話となりました。100分があっという間に過ぎたなかで、次の話が強い印象として残りました。

 「これ以上吃音との戦いを続けていたら自分が壊れると絶望しました。そして、吃音との内戦をやめたとき、そこには豊かな世界が広がっていました。子どもの頃から吃音に悩み、どもることばを言い換えて生き延びてきたことが、語彙を豊かにし、小説家としての私の能力を育ててくれたと思います。今では、吃音に感謝しています。悩んでいたときなら飲んだかもしれませんが、今は、どもりを治す薬があっても決して飲みません」

 また、アメリカの著名な言語病理学者、ディヴィツド・シャピロ博士も私の講演に熱心に耳を傾け、吃音親子サマーキャンプに強い関心を示してくださいました。第1回の世界大会を開いた私に、特別プログラムの臨床家のための一日講義のためにもってきていた、567頁の大著『StutteringIntervention(吃音への介入)2版』をプレゼントしてくださいました。「深い敬意と心からの感謝を込めて。あなたの長年の吃音への献身的な取り組みと、かけがえのない友情に感謝」とサインがありました。「吃音の考え方はちがっても、どもる人の幸せを願うことは共通だから、互いのいい面をすりあわせ、一緒に取り組もう」と、いろんな提案をしてくださいました。吃音の経験者ならではの誠実な専門家でした。
 
 たくさんの人にインタビユーしましたが、ヨーロッパの人々の多くは、ヴァン・ライパーの技法などの吃音治療を受けていました。しかし、言語訓練をしても治らず、自分が変われたのはセルフヘルプグループのおかげだと言います。治らないことを認めて、どもりながら豊かに、誇りをもって生きていました。私たちのように、「吃音は生き方の問題だ」とは言い切ってはいないものの、少なくとも「吃音の軽減や流暢性」にはこだわっていません。私が見て、聞いた範囲ですが、第10回世界大会に参加して、「夜明けは近いかもしれない」と少し思えたのでした。

 今回の出版は、向谷地生良さんが、吃音ショートコースの2日目の当事者研究の演習の後、「伊藤さん、これ、おもしろいよ。出版しましょうよ」と言ってくださったことが実現したものです。3日間の日程で長い時間、夜遅くまで私たちにつきあってくださったことが、かたちになりました。向谷地さんと出会うきっかけをつくってくださり、この本の序文を書いてくださった、斉藤道雄さんの、「この人は、自分のことばを話している」は、私にとって一番うれしいことばです。私を励まし続けてくださるお二人にあらためて心から感謝します。

 向谷地さんに出会うきっかけは、1986年の第1回世界大会にさかのぼります。世界の人々が出会う最初が大事だと、「出会いの広場」を担当してくださったのが九州大学(当時)の村山正治さん。村山さんの九州でのベーシック・エンカウンターグループで初めてファシリテーターをさせていただいたときに私と組んでくださったのが、九州大学の高松里さん。セルフヘルプグループを研究していた高松さんから紹介されたのが、大阪セルフヘルプ支援センター。そのメンバーで読売新聞記者の森川明義さんは、私のセルフヘルプグループで生きた半生を7回シリーズで写真付きの大きな記事にしてくださいました。森川さんに紹介されたのが、人と人とが出会うお寺として有名な慮典院の住職・秋田光彦さん。鷹典院の小さなニュースレターで私のインタビュー記事を目にして、東京から私に会いにきてくださったのが当時TBSディレクターの斉藤道雄さん。斉藤さんの浦河の別荘でお会いしたのが向谷地さん。こうして人と人とがつながっていくのだと、不思議な縁を思います。

 この本の出版にあたり、私のような吃音に対するきわめて異端な考えをもつ人間を、あなたは間違っていないと支持してくださっている多くの人に感謝の意を表します。
 まず、吃音ショートコースに講師としてきてくださった、いろいろな領域の第一人者の方々です。どれだけ多くの勇気をいただいたかしれません。あらためて感謝いたします。

 今回、吃音ショートコースの記録の4冊目の出版となりました。これまでの出版は、一度は年報として編集され、書き起こされた原稿があるものでしたが、今回は何の原稿もできていない時点で、金子書房編集部が出版を決断してくださいました。これは、たいへんありがたいことでした。ワークショップの記録という難しい編集を、今回も渡部淳子さんが担当してくださいました。ていねいな編集に感謝します。

 私が活動を続けられるのは、多くの支えがあるからです。どもる人のセルフヘルプグループである、NPO法人・大阪スタタリングプロジェクトの東野晃之会長がリーダーを務める、大阪吃音教室で毎週議論し合う仲間たち。また、臨床家のための講習会や、吃音ワークブックなどを一緒に作る、吃音を生きる子どもに同行する教師の会の、ことばの教室の教師を中心とした教員の仲間たち。

 英語ができない私の耳となり口となり、過去五回の世界大会に同行し、通訳、翻訳をしてくださっている親友の進士和恵さん。彼女の存在なくして、私の海外での活動はありえません。「井の中の蛙」ならぬ、「日本の小さな世界にこもるどもる人」にならずにすみました。そのほか、数え切れないほどの多くの人との出会いが私を支えてくれています。あらためて、みなさんに感謝します。

 1965年から始まった私の吃音一色の人生で出会った、数千人以上のどもる子どもやその保護者、どもる人、吃音にかかわる臨床家。たくさんの人との出会いで、たくさんのことを学ばせていただきました。そのなかで、私の「異端力」は磨かれていきました。最高に幸せな吃音人生です。これまでおつきあいくださってきたすべてのみなさんに感謝いたします。
 最後に、すぐに弱音を吐き、失敗ばかりのドジな私を支え、常に活動をともにしてくれる、パートナーの溝口稚佳子に感謝の気持ちを伝えます。
 この本が、「吃音の夜明け」がくるきっかけになれば、望外の喜びです。
 2013年7月7日伊藤伸二

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016年10月16日