どもる人のセルフヘルプグループである、NPO法人大阪スタタリングプロジェクトでは、普段の活動を映像化して紹介していこうとのプロジェクトを立ち上げました。ます、YouTubeに公開するのが、ことば文学賞の作品を本人が読み上げ、その講評と、伊藤伸二との対談を収録するというものです。

 まず、ことば文学賞について1998.8.15 「スタタリング・ナウ」NO.48の記事を紹介します。

 ことば文学賞
 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二                            

 自分史を書くことがブームになって久しい。そのブームよりもかなり前の1957年頃。「ふだん記」運動として自分史を書くことをすすめていた人がいた。橋本義夫さんは、ご自身を重い吃音だといい、50歳から文章を書き始めた。

 『私は少年後期から、ひどいドモリになった。壮年期まで続き、自由にしゃべれたのは幼少時代と晩年だけであった。もしも人生の盛りにこの障害がなかったら、全く違った方向を歩み、「みんなの文章」などすすめなかったであろう。肝心な時に言語が鎖につながれ、その間にした仕事は、どれもみな捕囚の仕事だった。言語の自由がなかったが、せめて文章の自由でもと、指導者もなく、「50からの独学」に入った。言語障害の身になると、普通にしゃべれることは、どのくらいありがたいことかが分かる。文章もそうである。名文、美文そんなものどうでもよい。そんなもの一般人には書けない相談である。普通の生活に必要な言葉のように、当たり前のことを何でも記録できるという、そのことがもっとも大切であり、もっともありがたいことである』
 『だれもが書ける文章一自分史のすすめ一』橋本義夫 講談社現代新書522

 橋本さんはかつて、文章というものは、名文、美文を標準にして書かなければならないと思いこんでいたために、劣等感、恥ずかしさなどが先立ち、書く気も起こらず、またとても書けるはずがないとあきらめ、メモ以外書かなかったと言う。

 「もう長く生きるわけではない。必要なことは書かなければ消えてしまう」
 50歳になり、ふとこう気づき、恥をかくつもりで書きはじめた。重い吃音のために、人とは交わらず、ひとりでこつこつと書く生活が続いた。毎日毎日書き続けた。人の喜びや悲しみのときにはつとめて書き、その当事者に贈った。さらに、自分の書くことで得た経験を周りの人に話すようにもなった。
 「不幸、失敗、困難、自責のことを書けば、誰も嘲るものはいない。自分の思うこと感じることをそのまま、自分の方法で書けばよい。私でさえも文章が書ける。書き始めたら繰り返せば誰でも書ける」

 橋本さんは、誰もが書ける文章作法を提唱し、日本全国に「みんなの文章」運動を巻き起こした。
 この運動によって、孤独な生活が一変した。
 「ふだん記」グループが全国に炎のように広がったのだった。70歳をすぎて、全国を駆け回り話す姿は、吃音のために、ことばが鎖につながれた人間の、最後の戦いであったのだろう。
 この呼びかけに応じて、私たちが自分史を書き始めて15年。大阪の吃音教室では、年に数回、「文章教室」を開いて書くことに取り組んできた。

 自分を表現するひとつの手段として、書く習慣を持ちたかった。さらには、後に続くどもる人やどもる子どものためにも書かなくてはならないと思った。
 この度私たちが、『ことば文学賞』を創設したのは、自分史を書こうと取り組み始めたときの熱気をもう一度取り戻したかったからだ。また、どもる人、どもらない人の別なく、幅広い多くの人々と、書くことを通して、吃音やことばについて考えたいと願ったからだ。

 私たちどもる人間は、ことばに苦しんできたと言いながら、ことばを大切にし、ことばについて深く考えてきたかと言えば、こころもとない。
 どもりに悩んだ私たち、人一倍ことばと格闘してきた私たちは、ことばについてもっと関心をもち、それを文章にしていきたいと改めて思う。
 橋本義夫さんの「ふだん記」運動に変わって、私たちの「ことばの文学賞」が発展していくことが、同じ吃音仲間である、橋本さんの遣志を継ぐことになるのだろう。
              伊藤伸二 1998.8.15 「スタタリング・ナウ」NO.48


 ことば文学賞
 吃音に悩んできた私たちは、ことばの大切さを実感します。
 ことばや吃音について、吃る人、吃らない人にかかわらず、多くの方々と様々な視点から語り合ったり、表現の場をもつことは、私たちの願いです。この度、『ことば文学賞』をつくりました。ことばや吃音についての日頃の思いを詩や文章に綴ってお寄せ下さい。
内容 「ことば」をテーマにした、詩、エッセイ、体験談、自分史。
規定 400字詰め原稿用紙10枚以内
賞  最優秀賞1編図書券3万円分 優秀賞2編図書券1万円分
 上記の「ことば文学賞」を大阪スタタリングプロジェクトが創設し、日本吃音臨床研究会の会員や月刊紙『スタタリングナウ』読者にも呼びかけがありました。日本吃音臨床研究会の会員である、岐阜大学付属小学校の田口めぐみさんの指導している中学生が応募して下さるなど、11編の詩や文章が集まりました。
 選考は、朝日新聞・学芸部の記者として文芸欄を長年担当してこられ、現在は朝日カルチャーセンターで講師をしておられる、詩人の高橋徹さんにお願いしました。大阪の吃音教室で開いている「文章教室」の講師を長年して下さっている方でもあります。
 高橋徹さんは、選考委員を快く引き受けて下さり、表彰式を兼ねた「文章教室」で、11編の応募作全ての講評と、受賞のいきさつを話して下さいました。
 
 ことば文学賞選考にあたって
高橋徹(詩人・朝日カルチャーセンター講師)


 「ことば文学賞を創設しました。11編、文章や詩が集まっているから、審査をして欲しい」
 こういう依頼を受けました。大役と言えぱ大役です。でも、皆様方の作品についてはもう5、6年になりますか、ずっと拝見しているものですから、たぶんお役に立つことができるであろうと思いました。

 私の場合は、発音することはまあ支障なくできていると自分で思っているのですが、ともあれ、ことばを文字にし、あるいは作品にして、それがいつのまにか自分の生業(なりわい)のごときものになった。それは単に生業ではなくて、自分の生き方を貫いているひとつの道として文章というもの、あるいは詩というものがあります。

 したがって、「ことば文学賞」という賞をお作りになったとお聞きしたとき、なんだか頭にパッと灯がともって、ちかちかとその灯がまたたいて、「ああ、喜んで引き受けますよ」と、たぶんお答えしたと思います。
 やはり、ことばを自分の生きる一番大事なものとしている者にとりましては、ことばに関わる場を持つことは大層幸せだと思っていますから、お引き受けしました。

 そうして、作品が送られてきて、早速開きました。あっと驚きましたのは、筆者の名前がないんです。「あれあれ?」と思うと同時に「ああ、なるほど」と思いました。たぶん、当局としては、「高橋という男はこちらで比較的よく、お話をしたり、皆さん方と若干の交流を持ったりしている、したがって作者の名前があれば、あるいは高橋はその名前にほだされたりしたらいかんな」と、恐らくそういう配慮で名前が伏せてあったと思います。私は私で、そのことは「良かった」と思っています。

 まさか、もうこんな年になって、そんなに人様の友情や感情を大事にして、その本質を踏み外すようなことはまずないと思っています。ないとは思っていますが、私も人間ですからあるいは、名前があったら、ひかれるかもわかりません。そういう私の配慮を一切させないようにして下さった当局に対して、私はむしろ感謝をしたい。感謝すると同時に、これは非常に深い配慮のもとにこの賞の設定が行われ、かつ、私に審査員を頼まれたということを、改めて感じたわけです。

 同時に、名前があることによって、非常にその人を意識するあまり、その人の作品が大層いいのに、「ああ、この人の作品がいいと思っているのは、僕がこの人に対して個人的にひかれているから、作品そのものはそうでもないのに、大層いいように錯覚しているのではないだろうか」という、そんな逆の奇妙な差別をすることにもなりかねないわけです。したがって、いずれにせよ名前がなかったことは、選者にとってはありがたいことであったと、改めて思いました。

 そんな風にして、冷静に作品11編を読ませていただきました。ただし、私は文章作品に対して優劣をつけるという考え方には、もともと疑問を持っています。俗にいう「うまい、へた」という言い方は許されないし、そういうことをすべきではない、と思っています。よく言うことですが、その人らしさが、その人らしいことばで書かれている。しかも一読して明快である。いや一読明快でなくても、その人が言わんとすることが読む者の胸にちゃんと伝わってくる。それはすなわち名文であると私は思っています。

 でも、こうして賞が設定され、応募された。そして、入賞するか、しないかは、応募されたときに自ら割り切っておられると考えれば、それはそれでまたいいわけです。したがって今回、一所懸命読ませていただきました。そして私は基準として、無意識のうちにこう考えていました。それは、当然ながら、どもりと自分、あるいはことばと自分。自分はそれにどう関わってきたのか、あるいはどのように苦しんできたのか、どうつきあってきたのか、まずそこのところが書かれていないと問題外である。おそらく、そのことはどなたもお書きになっているであろう。そして、そのことが自分にとって一体どういうことであるのか、生きてきたその歳月の中でどういう意味があったのだろうか、という点についても筆が及んでいれば、それは最高の出来であろうと考えました。
     1998.8.15 「スタタリング・ナウ」NO.48

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016年9月20日