2015/05/13 に書いたブログの採録です。

 2月、大阪松竹座で、中村鴈治郎四代目襲名興行に行ってきました。三代目は今の藤十郎です。藤十郎よりも扇雀の時代の方がよく知っています。

 さて、今回は傾城反魂香をみたくて行きました。近松門左衛門のこの作品は、どもりの絵師又平と恋女房お徳との夫婦の情愛を描いたものですが、どもる僕たちにとっては、又平の「どもりっぷり」に興味が湧きます。ひどくどもる人間として描かれているので、どもり方も役者の演じ方で変わります。

 以前のブログに書きましたが、中村吉右衛門の又平と、片岡仁左衛門の又平の三人をこれまで見ています。役者のどもり方に二通りがあります。いわゆる連発(繰り返し)のどもり方と難発(ブロック)のどもり方です。役者はそのどちらかを選ぶのですが、今回の鴈治郎はブロックのどもり方でした。ブロックはことばが詰まって「・・・・・・・」となるので表現はできません。そこでブロックといっても、息を吸いながらどもる、いわゆる「引きどもり」というどもり方でした。この選択はまちがいだったと思います。

 息を吸いながらどもるので、何を言っているのかが聞き取れないのです。周りには、ただ「わあわあ騒いでいる」だけに見えるのです。

 中村吉右衛門も片岡仁左衛門も、はでな連発(繰り返し)のどもり方だったので、すごくどもっているのですが、何を言っているかはよくわかるのです。二人とも、見事などもり方でした。

 ここで、僕が思ったのは、ひどくどもっても、「ぼぼぼぼぼほぼく・・」の連発のどもり方のほうが、日常生活でもずっと楽だということです。著名人でテレビに出てくる人は、自分がどもりだと公表していても、あまりどもりません。ブロックの軽い状態で、どもらないように工夫しているのがよくわかります。

 最近はほとんどテレビに出なくなりましたが、映画監督の羽仁進さんは、すごくどもりながら、気持ちよく話していました。子どものように連発してのどもり方は、とても心地よいものでした。どもりたくないとすることが、かえって聞き手には違和感を持たせますが、羽仁監督のように堂々とどもると、とてもさわやかです。

 僕も最近、講演でもよくどもるようになりましたが、目立つどもり方を心がけています。
 またどこかで、「傾城反魂香」が歌舞伎でかかることがありましたら、是非見て下さい。とてもいいお芝居です。どこがいいかは、以前のブログで書いたので今回は省きます。 2015/05/13 

  日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/7/9