大阪吃音教室、吃音基礎知識の続きです。この報告今回で5回目です。

    5. 「笑うことの意味」


参加者
どもって喋っていると笑われることがあります。どもっている張本人は苦しいのですが、どうしてどもらない人は、どもる人の喋り方を面白いと思うのでしょうか? それにどう対応したらいいですか。

【伊藤】
みなさんの中で、人がどもっているのを見て面白いと思ったことある人はいますか?

【西田】小学校の頃、同級生がどもりの男子生徒をからかっていて、それが面白いと思って僕も真似していました。真似が原因かどうかは分かりませんが、僕もどもり始めました。当時は、少なくとも僕も、同級生も、どもる喋り方を面白いと思ったのでしょうね。

【伊藤】
人はどうして笑ったり、面白いと思うのでしょうか?ちょっとみなさんで考えてほしいのですが、どういう状態を人は面白いと思うでしょうか?

【藤岡】昔は、どもっている人を笑うなんて私の中で絶対にタブーでしたが、大阪吃音教室では人がどもつているのを笑えるのが私はいいなあと思っています。私自身も言葉が出ない時は思わず自分で笑ってしまうことはあるし、人が一生懸命どもって喋ろうとしている姿を見て微笑ましくて笑うとか、そういうのはあります。

【伊藤】
普通だったら「僕は」と言うところ、「ぼぼぼぼぼぼぼぼ、ぼくは」って言ったら、単純に面白くないですかね?

【溜】自分と違うっていうことですよね。

【伊藤】
そうそう、自分と違うことした人のことなどに対して、自分の予想外のことが起こると、それを面白いと思うということは、ないですか?

【西田】堤野さんが大学時代、最初の授業の自己紹介で名前が言えなくてクラスのみんなに笑われた。それがきっかけで彼は大学に行けなくなったんですよね、

【川崎】予定調和が崩れた時というか、予想外のことが起こったら、純粋に面白いと思いますね。相手が苦しんでるか、苦しんでない関係なく。

【伊藤】
思いもよらないことが起こったら、人は笑う場合があるよね。

【西田】特にみんなが緊張している時に思いもよらないことが起こったら余計に笑うと思います。それこそ、みんな緊張している大学の最初の授業の自己紹介で、順番に名前を言う場面で一人がすごくどもったら、これは何だと、びっくりして笑いがでるかもしれない。

【伊藤】
以前、奈良に北海道浦河の「べてるの家」の統合失調症の当事者の講演を聞きにいったことがあります。当事者が話の中で「僕のこの辺にね、いつも『こうしろ、こうしろ』と命令をするやつがいる。この前、こんなことをしたけれど、俺が変なことをするのは、この命令するやつが悪いんだ」と言って、命令する幻聴のエピソードをユーモアたっぶりにいくつか紹介してくれました。そしたら、そこに参加していた奈良の統合失調症の当事者が「その命令をしているのは僕なんだ」と言ったんです。

 そのやり取りがめちゃくちゃ面白くて僕はゲラゲラ笑ったんです。今でもその場面を思い出すと単純におもしろいと思いますよ。でも他の参加者(統合失調症の家族)は「笑っちゃいけない」と思っているか、笑わない。僕だけがゲラゲラ笑っていて変な感じがしました。べてるの家の統合失調症の話をしている人たちは、「笑ってくれて当然」だと思って話をしているのに、みんなシーンとして聞いていたら、なんだか深刻な感じがします。 北海道の浦河の「べてる祭り」に行きましたが、「幻聴・幻覚大賞」をつくつて、自分がいかに大変な幻覚、幻聴があるかを競って話し、大きな会場の参加者は大笑いして拍手をしている。それを経験していたからか、経験していなくても僕は大笑いしたかもしれませんが、面白い時は笑ってもいいですよね。

 最近の日本は、いや世界中もそうですが、とても不寛容な時代になりました。「人を笑ってはいけない」「不謹慎なことをしてはいけない」になりすぎて、すごく窮屈になってきている気がします。だから僕たちは「笑われる」ということに対して、反対に「おお、笑ってくれるのか」と考えてもいいと思います。実際にそう考える人もたくさんいますしね。

 「笑いとは何か」ということを研究してもいいですね。だから、僕たちの吃音ショートコースで、「笑いとユーモア」をテーマに2泊3日のワークシヨップをしましたね。笑い芸人の「松元ヒロ」さんにきていただきましたが、普段もよく笑う僕だけど、90分ほど笑い転げたのはあまり経験がない。「日本笑い学会」の井上宏さんの講演も勉強になりました。笑いについて知っておき、笑いに強くなれば、自分も笑える。そういう意味ではユーモア感覚を磨くことは大切ですね。落語を聞きに行ったりして、面白いことにはゲラゲラ笑うということを経験すると笑いに対するセンスができる。自分が笑われても大丈夫になってくるし、人のことを素直に笑えるようになると思います。

 また、笑われるということをネガティブな反応として捉えているとつらいですね。笑いには、攻撃の笑いもあれば共感の笑いもあるし、応援の笑いもあります。国語の音読でどもった時にシーンとされて、「かわいそう」という雰囲気になると自分もつらいですよね。反対に、クスっと笑ってくれたりゲラゲラと笑ってくれたりした方が楽だったという人もいます。「笑う」ことについても、考えてもらいたいですね。

 人をおとしめようとして意図的に笑うこともあれば、攻撃の笑いもあれば、思いがけずふと笑う笑いもある、励ましの笑いもある。そう考えると笑いの意味が変わってくると思いますね。どうでしょうか?みなさんの中で笑われて嫌な感じがしなかった経験、むしろ笑ってくれてよかったという経験はありますか?

【溜】職場の電話でどもって言えなかった時に、笑ってくれてホッとした経験があります。私が電話口でどもったら、クスって笑って「緊張しなくていいねんで」と言ってくれたんです。それで私はホッとして緊張が解けました。

【伊藤】
どもりとつき合うための有効なヒントのひとつは「相手がどんな反応をしようと、それは相手の反応なので僕たちの責任ではない。相手の反応を僕たちでコントロールすることは不可能なので、その反応に対して嫌な思いをするかホッとするかは全て自分が”どう受け止めるか”にかかっている」ということです。

 こう考えると、僕たちは相手を変えることはできないけれども、自分の反応の仕方を変えることや、相手に過剰に反応するのをやめる練習はできますね。この練習の方がずっと有効だと思います。相手に「自分の期待通りに反応してほしい」と言ってもそれは無理です。となると、どんな反応がきても自分で対処できるようにすればいい。それには「研究」をすることも有効だと思います。

 自分のアクションに対して相手がネガティブな反応をした時に、「この人はどういう意味で反応したんだろうか?」と研究する。研究した後はその人に「あなたが反応したことを僕はこういう風に研究したのですが、実際はどうですか?」と聞いてみるとか。そうすれば相手も「そんなつもりじゃなかった」となるかもしれない。これが当事者研究です。そんなことができれば、どもることも、相手の反応も研究材料になって、楽しい「吃音人生」になると思うんですけれどもね。  つづく

参考 『笑いとユーモアの人間学』 日本吃音臨床研究会・年報13号

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/05/22