大阪吃音教室の「自分のどもりの課題を分析する」の由来
1981年、日本音声言語医学会の検査法試案が出されたとき、どもる状態を吃音症状として、こんなに細かく検査された結果を、親や子どもが見たらどんな気持ちになるだろうとまず思いました。そして、検査結果の学会の指摘する症状に応じた治療方法を提示できるほど、治療方法が確立されていないのにどうするのだろうと、強い疑問をもちました。私は糖尿病ですか、血液検査の結果は治療に反映されます。厳しく生活指導をされる、薬を変えられる、それでもだめならインシュリン注射などと。
吃音は吃音症状だけの問題ではないと、ジョンソンが言語関係図で、シーアンが氷山説で強調してきたにも関わらず、検査が症状に終始し、現在の生活態度、吃音についての意識、これからの人生についてほとんど関心がない。このような検査法を、ことばの教室の教師や言語聴覚士などが使ったら困るとの強い危機感をちました。
日本音声言語医学会検査法〈試案1〉はこう説明しています。
「重症度を測定し、予後を推定するのに役立つ尺度を構成するための資料、相互に比較可能な症例追跡資料が十分にはない。とくに問題の核となる吃音行動の分類・命名・記述について統一がない。資料蓄積のためにも、症状の適切な把握・記述に基づいた、統一した検査法が必要」
そこが僕が不思議に思うのは、英語と日本語はどもり方も似ているようで微妙に違います。日本語でどもる人の状態を徹底的に分析して、検査法をつくるのならともかく、安易に、アメリカ言語病理学の英語でどもる人の検査法をそのまま翻訳して作ったのです。この検査法で、適切な状態把握が可能かどうか、検査器具を購入して、私たちは検査法を実際に試用し検討しました。
大阪吃音教室に新しく参加した10人に実施し、2か月後同じ10人に再度実施しました。生活で変化はないのに、検査場面では、たった2か月の時間差なのに、3人に著しい差がみられました。検査場面で検査するために、どもる人の「生きた現実場面」のどもる状態の把握は難しいのです。被検者10人全員が検査場面と日常生活の場面は全然違うといいました。当然です。本来吃音の検査などできないのです。私の糖尿病なら、誰が検査しても、その人の状態は変わりません。吃音は検査する人が、怖い人か、優しい人が、男か、女かでも違うでしょう。その人の体調でも大きな変化があります。
検査に、信頼性がないだけでなく、検査による弊害があります。検査をされれば、この症状項目はどうすればよいのか、治るのかと期待してしまいます。また、吃音に深く悩んでいる人なら、検査結果を見せられて。ますます吃音への劣等意議を強めることになるでしょう。検査者もこのどもり方はどの分類に入るのかなどとその判断にとまどい、意識を集中し、どもる状態にとらわれなければこの検査は実施できないのです。検査者と被検者が共にどもる状態にふり回される危険性を、吃音検査はもっているのです。
記録に時間がかかり、吃音の全体像がつかみにくいだけでなく、細部にわたるどもる状態の分類や重症度に信頼性がなかった検査法は、まったく意味がないのです。
1983年、筑波大学で行われた、第28回日本音声言語医学会総会で、私たちはその結果を発表し、日本音声言語医学会の検査法を批判しました。
すべての検査は、その後の臨床に結びついてこそ意味があるのです。細かにどもる状態だけを検査するこの検査法が、ことばの教室や、臨床家が使い、吃る人や吃る子どもが振り回されたら困る。この検査法がなくなることを願って、強い危機感をもって批判しました。批判するからには、代案を示さなければならないと、私たちの吃音評価を提案し、日本音声言語医学会の学会誌に掲載されました。興味のある方は、その論文全部を、日本吃音臨床研究会のホームページにアップしていますのでお読みください。
私たちの主張する「吃音と上手につきあう」の視点に立ち、その後の臨床に結びつく吃音評価をつくりました。
私たちはどもる人の吃音意識、生活実態を調査を整理し、「吃音のとらわれ度」50項目、『日常生活での回避度」30項目、『人間関係の非開放度』30項目の調査項目を決定し、どもる人100人に実施しました。項目ごとに配点を変えました。
この評価法をつくるために私たちは何度も合宿をし、最終合宿は内須川洸・筑波大学教授との2泊3日の個人旅行でしました。わいわいがやがや、みんな温泉でくつろいだ後の集中した話し合いはもとても楽しいものでした。私たちは常に、楽しみながら、遊び感覚で、しかし真剣にまじめにが特徴です。こうして出来あがつた吃音評価法を、吃音チェックリストとして、「自分の吃音の課題を分析する」として、現在も大阪吃音教室のもっとも重要な講座として受け継がれているのです。
「吃音のとらわれ度」
(満点155点〉最高点151点、最低点6点、平均点62.8点
「たとえ内容がよくてもひどく吃った後には、気がめいる」の質問に「ハイ」と回答した人が一番多く56%。「私は吃るのが嫌さに買物にはほとんど行かない」が一番少なく2%でした。しかし100人中2人の回答は注目に価します。
「人間関係の非開放度」
(満点83点)最高点63点、最低点5点、平均点30.5点
人間関係が全く開放されていないとする回答の割合は多くはないのですが、「時々」という回答を加えると、職場での人間関係や親戚とのつきあい等の項目で非開放度は高い得点となりますが、これはその人の性格や、ライフスタイルの好みでもあり、吃音が必ずしも影響をしているわけではありませんが、吃音が影響しているとしたら、どうするか、大阪では今、まじめに取り組む吃音教室だけでなく、レクレーション活動も重視しています。
「日常生活での回避度」
(満点111点)最高点111点、最低点0点、平均点31.2点
「結婚式でスピーチを頼まれた時、引き受けるか」に「いつも避ける」が一番多く25%。「避けることが多い」、「時々避ける」も加えると職場、学校での研究発表、職場会議での発言、公式な場での自己紹介などが回避度が高い結果がでました。
吃音評価法の使い方
どもる子ども、どもる人の指導に直接生かせることを目指してこの評価法は作成されました。一番変容が困難なものは吃音へのとらわれです。「吃音を意識するな」と指導されても、長年の吃音に対する否定的な感情は消えるものではありません。しかし、日常の生活態度を把握し、問題点を整理し、行動を変えていくことは可能です。どもるのが嫌さに日常生活のさまざまな場面を回避することをある程度明らかにし、自分の行動パタンを知る。具体的に把握した回避の行動を徐々に回避しないようにする。日常生活の回避度を減らし行動する中で、かつて「たとえ内容がよくてもひどく吃った後は気がめいる」に「はい」とつけていた人が次の調査では「いいえ」と回答するようになることがあります。どもる人は次のように循環しながら成長していくのである。
日常生活で回避しない → 吃のとらわれから解放される → 人間関係を開放する
→日常生活を回避しない と循環していきます。
『吃音評価の試み−吃音検査法の検討を通して』 『音声言語医学Vol.25,No.3』P243〜P260(1984年)
この吃音評価法は成人のために作られたものですが、子ども版をつくり、全国のことばの教室で実施してもらい、事情に合わない項目を削除し、修正を何度も加えたものを紹介したのが、「親・教師・言語聴覚士が使える吃音ワークブック」(解放出版社)に掲載されています。まだ改良の余地がありますが、この自己チェックを使っていただき、情報交換しながらよりよいものにしていきたいと考えています。名称は、大人版と子ども版では次のように変わっています。
「吃音へのとらわれ度」→吃音に対する気持ちや考えのチェックリスト
「人間関係非開放度」→対人関係や人間関係のチェックリスト
「吃音の回避度」→行動のチェックリスト
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/05/01