「肯定して生きる」…吃音仲間と半世紀

2016年3月1日、読売新聞に、「吃音仲間と半世紀」というタイトルで、掲載していただきました。
「どもる君へ いま伝えたいこと」と「吃音の当事者研究」の本を手にした私の大きな写真入りの記事です。
北河内版かと思いましたが、大阪市内版にも掲載されたようです。

読売新聞


「どもりと向き合うことで、多くの人と出会うことができた」と話す伊藤さん(寝屋川市で)
「どもりと向き合うことで、多くの人と出会うことができた」と話す伊藤さん(寝屋川市で)


 話そうとした時に言葉が詰まったり、最初の音を繰り返したりする吃音きつおん(どもり)と向き合ってきた寝屋川市の伊藤伸二さん(71)が、仲間と支え合い交流する活動を始めて半世紀が過ぎた。吃音で悩む若い世代にアドバイスを続ける伊藤さんは「どもりが多くの出会いの場を作ってくれた。それに感謝し、これからも向き合っていきたい」と話す。(広瀬毅)

 吃音は100人に1人の割合で現れるとされる。伊藤さんが意識するようになったのは、小学2年生の時。学芸会で予想外にせりふの少ない役が回ってきた。「どもりのせいだ」。そう思った。高校では国語の授業で音読の免除を願い出るほど、コンプレックスを抱き続けた。

 しかし、「このまま、死んでたまるか」と克服を決意。大学進学後には治療施設で1か月訓練を受けた。思うようには治らなかったものの、この時、一緒に訓練した10人の仲間と1965年11月、上手に向き合っていくための会を結成。少しずつ自信が持てるようになり、積極的にデパートでの接客や家庭教師などのアルバイトを経験した。「話すことから逃げなければ、何だってできる。どもりながら生きるのが僕の人生」。そう思えるようになってきたという。「吃音者が働く場をつくりたい」と、約10年間カレー店を営んだこともあった。

 次第に活動の場を広げ、1986年に吃音者同士が交流する世界大会を開催。国内大会も開いた。また、吃音を公表した米国の音楽家、スキャットマン・ジョンさんとも交流。99年に亡くなるまで、「吃音を治療ではなく、肯定して生きるための活動をしよう」と、意見を交わした。

 伊藤さんは、日本吃音臨床研究会の会長として、大阪市内の吃音教室で講師を務めるなど、地道に活動を続ける。

 そして今、折に触れて紹介している文章がある。吃音に悩む子らのサマーキャンプに宮城県女川町から参加した小学生の女児が書いた作文だ。女児は東日本大震災で犠牲になったという。「私は学校でしゃべることがとてもこわかったです(中略)。なんだかこどくに思えました。でも、サマーキャンプはちがいました(同)。みんな、前向きにがんばってるんだ、なのに私はどもりのことをひきずって、全然前向きに考えてなかった。そのとき、私は思いました。どもりを私のとくちょうにしちゃえばいいんだ」

 伊藤さんは「一人ひとりの力は小さくても、志を同じくする人が集まれば道は開け、人生の転機になる。一人で悩まないでほしい」と話す。相談は同研究会(072・820・8244)でも受けている。

2016年03月01日 Copyright c The Yomiuri Shimbun