自分にとって「得か損か」

 1月11日の吃音ワークショップの続きです。
 「吃音をどうしたら認められるか。伊藤さんはなぜどもりを認められたのか」の質問に、受け入れないことによって得るメリットを考えてみようと提案しました。参加者から出されたものをそのまま紹介します。少し、論理的におかしいと思える発言がありましたが、そのまま掲載します。

 吃音を受け入れないこのメリット
 ・吃音を受け入れるための学習も、努力もする必要がない。
 ・「あきらめない人」になれる。
 ・吃音は、自分にはなかったことにできる。
 ・流暢に話せるようになる希望を持ち続けることができる。
 ・吃音に対して、劣等感をもたないでいられる。(これは本当にそうでしょうか?吃音を否定しても劣等感を僕はもっていました)。
 ・多くの人の側、多数派のなかにいると思える(これもそうでしょうか)
 ・次はちゃんとはなせるはずだと、ずっと思い続けることができる。
 ・いつか治るという期待、希望を持ち続けることができる。

 受け入れないことのメリットと言われて、少しとまどいがあったようで、出そうでなかなかでませんでした。次に、吃音を認めないことによって起こるデメリット、マイナス面

 ・自分だけで問題を抱え込んでしまう。
 ・吃音を隠そうとして、疲れる。
 ・今の自分が幸せだとは思えない。
 ・本当の自分、本当の自分の実力がわからない。゜
 ・いろんなことにやる気がなくなる。
 ・いろんなことに挑戦しようとしなくなる。
 ・毎日がうつうつと楽しくない。

 おそらく参加者のみなさんは、こんなメリット、デメリットを考えたことはなかったでしょう。考える間もなく、瞬間的に発言していったので、この程度ですが、改めてじっくりと、メリットデメリットを考えて整理してみると、いろんなことが見えてくると思います。
 僕は、小学2年生の秋から吃音を否定し、どもる自分が認められなくて、どもらないふりをして、話すことから逃げ、生活の様々な場面で逃げ続けました。本当に損な学童期・思春期を送ったと思います。吃音を認めないことで起こる、損をした生活をさんざん送ってきたので、吃音をみとめないで起こるデメリットを、人一倍感じとっていたから、21歳の夏に、どもりを認めて生きる人生の道筋にたてたのだと思います。

 この選択は、自分にとって「損か得か」で考える習慣がついたのだと思います。得することよりも、大きな損をすると本当に気づいたら、人は「吃音を認める」方向にすすむだろうと思います。だって、自分自身の人生ですもの。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2015/01/22