僕の劣等感

 未だに、僕の心がざわついています。
 新聞やテレビ番組で、高倉健さんへの追悼が続いています。
 『人を想うことの意味」を映画などを通して伝え続けてきた人なのでしょう。「あなたへ」の撮影現場となった富山刑務所の受刑者をまえに「おなたの大切な人のもとへ、早く帰ってあげて下さい」と話して、声を詰まらせていた。たくさんの、共演者、スタッフ、ふとすれ違った人々と、心を通わせたとの証言は、人を温かくしてくれます。

 僕は『優しさ」について、ずっと考えてきました。それは、「本物の優しい人」にコンプレックスをもっていたからです。僕は父親に似て、するどい目つきだとよく言われていました。大学生の時、大学闘争の時代だったかもしれませんが、昼間、浅草でよく職務尋問で交番につれていかれました。あまり、たびたびなので、「なぜ、僕はよく尋問されるのか」おまわりさんに聞いたことがあります。さすがに「犯罪者の目」とはいわなかったものの、「眼光鋭い・怖い目」と言われました。そのことが、ずっと意識の中にあって、「僕は怖い顔をしている」と、自分自身思っていました。

 大阪教育大学の教員だった時、何人かの女子学生が、そんなに叱っていないのに、泣いたり、どもる人のセルフヘルプグループの仲間の中でも、ときどき「伊藤さんは怖い」と言われました。大学ならともかく、同じ仲間であるセルフヘルプグループの、今悩んでいる人から言われるのはショックで、劣等感になりました。
 僕は、その人のことを本当に想うからこそ、時にその人にとって頭の痛い、厳しいことを言う。それが、僕の優しさだと思っていたのですが、率直に厳しく言われた、その人にとっては、「怖い人」になっていたのです。


 僕は、自分では優しい人間だと思っていますが、なぜ人には怖い人間だと思われるのだろう。人に、本当に優しいとはどういうことなのだろうと考え続けて来ました。九州大学の村山正治先生の、九重の筋湯温泉のベーシック・エンカウンターグループに、1990年の年末に初めてでました。以来、ずっと参加していましたが、「この人は、本当に優しい人だなあ」と思えた人に何人か出会いました。このような人になりたいなあ、でも、つい、本音を言ってしまっては人を傷つけてしまう。この劣等感はなかなか消えません。

 数年後のグループで、ひとり周りから厳しい指摘をうけて傷ついている若い女性がいました。僕は、その人の想いを受け止めようとしました。グループが終わって帰り支度をしている時、その女性が「伊藤さんの優しさに救われました。伊藤さんがいなければ、私は途中で帰っていたかもしれません」と言って下さいました。つい、正直に、率直に自分の思いや考えを口にしてしまうため、人に怖い人だと言われ、「本当の優しさ」とは何かを考え続け、ある意味、自分を否定してきた僕ですが、初めて「伊藤さんの優しさ」ということばに出会って、涙がでるほどにうれしかった。こけまで、優しくなりたいと劣等感をもっていたけれど、「もう、自分を責めるのはやめよう」とその時思いました。

 僕も若くない70歳です。優しさへの劣等感は完全には消えていないけれど、高倉健さんの優しさには、とても近づくことはできないけれど、これまでずっと映画を見続けてきたように、今回の追悼番組での健さんのエピソードを思い出したいと思います。

 「優しい人」にはなれないかもしれないけれど、「人に優しい行動」はとることができる。これから出会う人々との関係の中で、考え続けていくのでしょう。

 高倉健さん報道の中で、久しぶりに「優しさ」について考えました。やはり健さんはすごい人です。
 次回から、吃音の話題に戻ろうと思います。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/11/21