吃音ショートコースからもう1週間です。先週の土曜日は、台風を心配しながら、この時間琵琶湖の会場に向かっていたのです。それが、今週は今から、静岡県の吃音キャンプに向かいます。今年で12回? これもよくつづいているものだと感心します。また報告はブログで紹介しますが、再度、吃音ショートコースの感想です。



 吃音観が音を立てて崩れる場


吃音ショートコースに参加された皆様

今年もまた夢のような3日間を過ごしたあと、あっと言う間に日常に戻ってあくせく過ごしています。ただ、10年前の頃と全く違うのは、あの頃は吃音ショートコースの3日間があまりにも温かく楽しく、また日々の仕事に戻らなければならぬ事が怖くて苦しくてならなかったのが、今は3日間の栄養を糧に、笑顔で仕事に戻っていける自分をはっきりと感じていることです。

 大阪吃音教室や吃音ショートコースは今も私の最も安心できる故郷であり、また同時に普段の生活では味わえない緊張感に満ちた厳格な実家のような場所でもあります。それは、皆さんが“うわべ”だけではなく、人間としていつも率直に誠実に相手と向き合っていらっしゃる事をいつも痛感させられるからなのですが、その意味では、同じように生きる講師の国重浩一さんと大阪吃音教室や吃音ショートコースの皆さんが旧知の友のように互いにリラックスして向き合えるのが心から納得できる気がしていました。私はちょっぴり緊張しながら、遠くから国重さんを見ていました。そこにある課題を、私は自分に「何がそうさせるのかな?」と問いかけ続けねばならないのだと思います。


 帰ってきてから、メモやリーフレットを読みながら、改めて自分が学んだことは何だったのかを振り返っています。改めて文章で読むと、国重さんが説明されていた色々な言葉の意味がよく分かり、少しずつ点と点が繋がっていっているような心持ちがしています。「ナラティブ・アプローチ」についての全てを専門家のように詳しく理解することはできませんが、私は自分のノートを見て、国重さんが色々な側面から説明されていたことの多くは、自分以外の誰かに、意識的にせよ無意識的にせよ、いつのまにか何となく規定された何らかの価値観や文化や雰囲気に、いつの間にか縛られて自由をなくし、窮屈になってしまっている自分たちのことをもう一度自覚してほしいということだったのではないかと思い始めています。こんな風に分かった風に「要約する」ことも国重さんは戒めていらっしゃったように思いますが・・・(汗)。


 吃音ショートコースの前日、高槻市のことばの教室のどもる子どもたち9人のグループに招かれ、『悩みながら、生きる』という題材で話しをしたり、子どもたちの声を聞き取ったりしました。最後に、ある子どもが「掛田さんが、これまでの人生の中で一番嬉しかったことは何ですか?」と質問してくれました。

 難しい質問だったので、私もしばらく考えて、初めて吃音ショートコースに行ったとき、自分以外の沢山のどもる人たちに出会い、しかもその人たちとどもりについてお腹を抱えて笑い転げた時のことだと答えました。

 あの日、確かに私の心の中の「吃音観」がガラガラと音を立てて変わっていくのを感じました。吃音ショートコースは、私にとってはもちろん新しいことを勉強する学びの場ではありますが、何より全国のどもる仲間たちと年に一度出会い、時にはどうでもよい話で腹の底から笑い合える「お祭り」のような大事な場所であります。

 伊藤さん溝口さんは本当に大変の一言では片づけられない苦労と血のにじむような努力をもってこの吃音ショートコースを持続させて下さっていることと思います。勝手な願いや要求ばかりで大変恐縮ですが、この機会をどうかこれからも私たちに与えて頂きたいという勝手な「願い」を、最後に申し上げたいと思います!
                                                      掛田力哉