若者たち


 「君のゆく道は はてしなく遠い だのになぜ 歯をくいしばり 君は行くのか そんなにしてまで」

 1966年から始まったテレビドラマ「若者たち」は知らなくても、この歌を知っている人は多いでしょう。
 このドラマが映画化された頃、どもる人のセルフヘルプグループ言友会をつくり、どのように会を発展させていくか、悪戦苦闘しているころでした。

 僕は今は言友会から離脱して20年ほどがたち、関係はなくなっていますが、懐かしい思い出です。

 この「若者たち」が2014年版としてテレビドラマとなり、今週最終回を迎えるようです。あのころと、今は時代があまりにも違いすぎて、新しい設定はされているものの、あまり視聴率はとれなかったようです。しかし、森山直太朗の歌う歌は、今の時代でも、共感できることでしょう。

 映画「若者たち」は僕にとって、特別の思いの深い映画です。
 そのことを、以前も書いたかもしれませんが、『吃音者宣言−言友会運動10年』(たいまつ社)1976年出版の第3章 言友会の歴史、活動の思い出 の中で書いています。

 映画「若者たち」のこと

 事務所が言友会の活動の中心の場となるにつれ、そこには常に明るい笑い声が絶えなかった。若い私たちには雨もりのするどんなボロ屋でも、5人も10人も同じ屋根の下で夜遅くまで語れる場があるということはありがたかった。マージャン屋や酒場に早替わりすることもたびたびあったが、悲しいときうれしいとき、自然と足は事務所に向かった。
 会が充実するにしたがって、これまでの活動では物足りなくなってきた私たちは、何か夢のあることがしたくなっていた。また言友会の存在を大きくアピールすることはできないか、常にそのことが頭の中にあった時期でもあった。

 ある日、新聞で「若者たち」という映画が制作されながら、配給ルートが決まらず、おくらになりかけているという記事を読んだ。テレビで放映されていたものが映画化されたのだった。テレビで感動を受けていた私は、いい映画が興業価値がないことでおくらになることが不満だった。そしてその置かれた立場を言友会となぜかダブらせていた。

 「そうだ、この映画を全国に先がけて言友会で上映しよう。そして吃音の専門家に講演をお願いし、講演と映画の夕べを開こう。吃音の問題を考えると同時に、映画を通して若者の生き方を考えよう」
 そのことが頭にひらめくと私の胸は高鳴り、もうじっとしておれなくなった。さっそく制作した担当者に電話をし、新星映画社と俳優座へと出かけていった。どもりながら前向きに生きようとしている吃音者のこと、言友会のこと、そして今の私たちに必要なのは、映画『若者たち』の主人公のように、社会の矛盾を感じながらも、社会にたくましくはばたこうとする若者の生き方であることを訴えた。私たちの運動には理解や共感をしえても、末封切の映画の無料貸し出しとは別問題であった。あっさりと断わられたが、私は後ろへ引き下がれなかった。東京の吃音者に言友会の存在を広く知らせ、共に吃音問題を考え、生きる勇気を持つにはこの企画しかないと私は思いつめていたのだ。

 私は、六本木にある俳優座にその後も何度も足を運んだ。交渉を開始してすでに7ヵ月が過ぎた。そして、映画『若者たち』も上映ルートが決まらぬままであった。再度私はプロデューサーに長い長い手紙を書いた。あまりのしつこさにあきらめたのか、情勢が変化したからなのかわからなかったが、この手紙がきっかけとなって映画を無料で借り出すことに成功した。そして、上映運動が展開される時には協力を惜しまないことを約束した。これまで私が生きてきてこの日ほどうれしかった日はかつてなかった。さっそく事務所にいる仲間に伝え、手をとりあって喜んだ。
 とにかく、250名もの人を集め、主演の山本圭も参加してくれての夕べは成功した。会場を出る時参加者は『若者たち』の歌を口ずさんでいた。
             『吃音者宣言−言友会運動10年』(たいまつ社)

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/09/23