東海四県言語・聴覚・発達障害児教育研究大会の吃音分科会


 今回二組の発表がありました。僕はこれまで、全国難聴言語聴覚障害教育研究協議会の、全国大会や、九州地区大会や、今回の東海四県、近畿地区などの大会で「吃音分科会」の助言者を、何度もしてきました。その中で、今回の提案者の報告は、新鮮でした。僕が分科会の担当をしたときは、ういう印象はもたのかったのですが、時に、自信満々で、このような実践をしたとの報告に出会うことがあります。実践の成果を報告、提案するのですから、それは、ある意味当然のことかもしれませんが、吃音の場合の本当の成果は、大人になってからわかることで、自信のもてるものではないと、僕は思っています。

 今回の二組の提案は、自信がないと言うわけではないけれど、もう少し、ちがった対応が、取り組みができたのではないかと、謙虚に内省するものでした。とても好感がもてました。助言者としてのまとまった発言は、スレジュールによると、20分なのですが、分科会責任者、司会者も、提案者も、僕に多めに発言できるように、して下さいました。40分はあったと思うのですが、おかげで、参加者の質問や、疑問にお答えすることができました。

 参加者からの質問のひとつ。
 「私は、教師であり、教員免許はもっているが、言語聴覚士の資格はない。そのような人間が、吃音の指導をしてもいいのか」という、こんな質問ははじめてなのでびっくりしました。
 いろんな質問に答える前提としてまずその質問を取り上げました。僕は、吃音の取り組みは、治療・言語訓練ではなく、教育だと考えていますので、はっきりと、幼児期・学童期の吃音は、幼児のことばの教室が静岡の場合設置されているので、学童期は当然のことながら、是非、教員免許をもっている、教師にこそ取り組んで欲しいと話しました。学童期になけば、理科や社会の教科学習とおなじように、ことばの教室では、「吃音学」を学習することだと話しました。言語聴覚士の資格ができ、その認知度がたかまるのは良いのですが、ことばの教室の教師が、このような思いをもつとしたら、残念です。なぜ、このような質問がでるかと言うと、「吃音は、治療、訓練だ」との社会の思い込み、言説があるからです。

 吃音は、治療・訓練で問題がかいけつできるものではなく、「吃音と共に豊かに生きる」生き方を学習するものだとの考え方が一般的になれば、このような質問はでなかったと思います。このことについて話すことができて、この質問は、とてもありがたいものでした。

 しばらく、この大会の話題について触れます。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/08/19