やはり、トロは食べられなかった

 朝、静岡からなかなか電話がかかってきません。やはり中止になったかと思い始めていた、午前11時ごろ、「
開催します。ホテルも予約しました」との電話がありました。僕は気づかなかったのですが、「えっ、開催ですか?」と意外そうな感じだったと、電話を下さった島田さんが言っていました。半々の思いが、中止かもしれないに傾いていたからかもしれません。

 まず、会場に送っていなかった「書籍」を宅急便で送ったり、学習会の「ナラティヴ・アプローチ」の整理をしていたら、大阪出発が6時ごろになってしまいました。台風が追っかけてこないうちに早く静岡につきたかったのですが、雨はだんだん強くなってきました。雨で新幹線が止まることなく、静岡についてまずほっとしました。

 静岡の楽しみのひとつに「寿司」があります。静岡駅のステーションの5階だかに、「沼津魚がし」という寿司屋があります。僕はその寿司屋が好きで必ずいきます。いつも良く込んでいるのですが、台風のせいもあるのか、すぐに座れました。カウンターから少し高い、握っている職人さんに注文するのですが、毎回苦労します。
 バリー・ギターの「流調性促進技法」が紹介されてから、特に意識して、構音器官の軽い接触、弾力的発話速度、軟起声の、「ゆっく、そっと、やわらかく」をためしてみるために、大好きな「トロ」と「タマゴ」に挑戦することにしています。

 ところが、忙しく握っている職人さんに、「ゆっくり」はともかく、「そっと、やわらかく」では、相手に声が届かないのです。そっと、やわらかく、「トロ、お願いします」と言うと、必ず聞き返されます。すると「・・・・と」と出てこないのです。「とととととととととととと・トロ」とまで言ってまで、どうしても食べることもないので、つい別のものを注文してしまいます。

 おかげで、出始めた「かき」「のどぐろ」をおいしく食べました。

 「吃音と共に豊かに生きる」と言いながら、伊藤も結局、吃音を恥ずかしい、悪いものと思って逃げているじゃないか。

 そう思われると、それは違います。どもりたくない訳ではないし、恥ずかしいわけでもありませんが、「ととととと・・・」といっても、最後には出る自信も僕にはありません。

 どうしても言わなければならないこと、どうしても言いたいことは、僕は決して逃げません。どうでもいいことについては、、たとえば、寿司屋の注文で逃げたとしても、何の悔いも残れません。
 むしろ、「統合的アプローチ」の技法が、僕のように、講演や、講義をして話すことの多い仕事をしている人間でも、難しいということが、毎回確認ができるのが、うれしいのかもしれません。
 「完全でなくても、少しでも吃音の症状を軽減すべきだ」の主張が、いかに、ばかばかしいことか。以前からすれば、かなり症状が軽減している僕でさえ、こうなのだと自ら証明できるのを楽しんでいるのかもしれません。

 やっぱり、今年も「とろ」と「たまご」が食べられなかった。
 だけど、「好きな「かき」と「のどぐろ」と「ホッキ貝」がたべらけたもんね」と満足しているのです。

 静岡で、どもる自分自身を再発見するのが、とてもうれしい。できないことが、あるのがうれしい。
 だから決まって、注文しにくい、しかし、おいしいこの寿司屋がすきなのです。
 明日からの、静岡のキャンプにそなえる、僕のひとつの「儀式」になっているのだと思います。

 明日から、静岡のキャンプの報告です。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/10/28