治る、治すをあきらめる

 1965年から、吃音一筋に生きてきた感じがします。すべてが吃音を中心に廻ってきました。このように書くと、吃音にとらわれているように感じられますが、そうではなく、吃音にこだわって生きてきました。
 書籍などで、たびたび書いていることですが、小学2年の秋から、21歳までの人生があまりにもみじめだったので、その後の人生で、吃音と共に、楽しく、豊かに生きよう、とこれまで生きてきました。自分では、世界一幸せな吃音人生だったと思います。過去ではなく、現在進行中ですが。

 この4月、5つの言語聴覚士養成の専門学校の講義が、同時進行し、ふたつは終わり、3校が現在も続いています。その1校の講義で、吃音治療法の歴史を話して質問を受けたとき、「伊藤さんにとって、どんな治療法が一番よかったか」と質問を受けました。21歳の夏、念願の東京正生学院で1か月、寮に泊まり込んで、集中的に訓練を受けました。午前中は呼吸・発声練習、午後は街頭訓練。上野公園の西郷の銅像前、山手線の電車の中、演説の練習に毎日取り組みました。本当に、真剣に、まじめに、取り組みました。深夜まで寮で話し合いました。

 吃音は治らなかったのですが、この1か月は私にとって天国でした。楽しくて、楽しくて、毎日がお祭りのようでした。一人ぽっちで、ともだちがなく、仲間のいなかったのが、100人ほどの仲間がいる。特に仲の良くなった人が数人いる。人といることが。こんなにうれしく、たのしいものか、初めて味わった経験でした。

 やはり、私にとって、東京正生学院はありがたいところでした。今も、こころのふるさとです。治療法がよかったわけではありません。実際にその後の3か月の通院の4か月の中で、300人ほどの人と出会いましたが、誰一人出会いませんでした。
 学生に、何がよかったと思うか質問すると
 ・彼女ができた・同じように悩む仲間と出会えた・吃音について話をし、聞いてもらえる体験をした。これらはあたるのですが、大切なひとつのことは、ほとんどあたることはありません。
 それは、「治ること、治すことをあきらめた」ことです。
 あきらめるが、私の吃音のキーワードですが、昨日の電話相談で、考えることがありました。
 それは、次回に

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/05/02