新潟市で行われた、吃音フォーラムに行ってきました。
 1975年、私は大阪教育大学の教員時代、ふたりの私の研究室の学生ふたりをお供に、全国吃音巡回相談会の旅
に出ました。北海道の帯広市を皮切りに、明日は札幌、次は青森、秋田などと3か月をかけて全国を回りました。今から思えば、よくまあ、あんなことができなあと、当時のエネルギーに感心します。その時、もちろん新潟市にも来ました。その時、会場の設定や、宣伝など親身にお世話して下さったのが、当時佐渡島のことばの教室の、金井町立金井小学校ことばの教室の先生だった、計良益夫さんでした。
 あの相談会は、講師料はいらない、交通費も、宿泊費も自腹で、会場設定だけは、地元のことばの教室の先生にお願いしました。あの当時、ことばの教室の先生たちは、ことばの教室の草分けのような人たちで、熱意のある、すばらしいひとたちばかりでした。いまだに、当時出会った人の中で交流が続いています。その中でも、名前が珍しいということもあって、計良さんのことはよく覚えているのです。

 参加者は40名をこえていたでしょうか、その中にことばの教室の先生で、名札に「計良」とある人に、ぶしつけにも、娘さんですかと尋ねていました。やはり、計良さんは、とてもよくがんばっていた人で、よくそのような質問を受けるようです。なんとも懐かしい新潟の地です。

 講演は、「吃音と上手につきあうために、英国王のスピーチから学ぶ」でしたので、多くの人か、英国王のスピーチを見て下さっていました。なぜ、あの開戦スピーチが成功したのか、多くの人は、言語訓練の成果だと見て取っていますが、そうではありません。「どもってもいい」と覚悟をきめたからです。どうしてあの映画からそれが言えるか説明し、1903年から始まった吃音治療の歴史について解説し、世界最新と言われる統合的アプローチは、1903年から始まった、日本の民間吃音矯正所の治療法と、まったく同じで、2012年と、1903年とほとんどかわっていないことを紹介し、そろそろ、「吃音治療・改善・コントロール」をあきらめ、吃音と共に生きることを提案しました。

 参加のみなさんは、とても真剣に聴いて下さり、二部の質問コーナーではいい質問が出て、4時間はあっという間に過ぎました。ことばの教室の先生が8人ほど参加して下さっていたようで、幼児・学童期の子どもの質問もありがたいことでした。その後、8人で、居酒屋で3時間以上も楽しい語らいがありました。
 
 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2012/10/24

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