大阪吃音教室はすごいの、前回の続きです。

 子どもをほめて育てる。上司は部下をほめる。家庭でも職場でも「ほめる」が最近とても言われるようになりました。私たちの大阪吃音教室でも相手をほめる実習をしていました。ところが、アドラー心理学の子育ては、「しからない、ほめない子育てのすすめ」をしています。ほめる代わりに「勇気づけよう」といいます。
 今回の大阪吃音教室のアドラー心理学の講座では、共同体感覚の育成に必要な「他者貢献」についての演習がありました。大阪吃音教室の吃音講座の特徴は、講座担当者が講義のように話すのではなく、できるだけみんなで取り組む「演習」を入れることです。また、できるだけ、自分の吃音体験を話に織り込んでいくことです。今回も担当者の自分の体験を通しての説明はとても分かりやすく、アドラー心理学が身近なものになっていきました。
 5人1組のグループになり、演習が始まりました。
 一人のメンバーに対して、他のメンバーがその人が自分や社会に貢献していることを話そうという演習です。その人のいいところを見つけて「ほめよう」ではありません。私が入ったグループの5人のうち、2人は初めてで、あとの2人も吃音教室で顔見知りではあっても、ほとんど話したことがない人です。そのようなあまりよく知らないメンバーに対して、その人の他者貢献をみつけて話すのです。
 初対面でも「ほめる」なら、服装などのセンスや雰囲気をほめることはできます。他者貢献となると、難しいと考えるかもしれません。ところが、予想外に演習はできていきました。まず、ほめるのではないことを確認しました。「ほめる」にはどうしても上から下へのベクトルがあります。子育ての中でほめないことを提唱するアドラー心理学は、次のよなことが起こることを危惧するからです。

 ・子どもはほめられることを目的に行動するようになる。
 ・ほめられないと適切な行動をしなくなる。
 ・ほめられるか、しかられるか、結果ばかりを重視するようになる。
 ・ほめられそうにないと思ってしまうと、最初からあきらめてしまう。

 まず、私の他者貢献について、他の4人のメンバーから話してもらうことにしました。一番の年長者でもあり、ホームページで見たり、私の本を読んで参加する人も少なくないし、大阪吃音教室では初参加者には資料として必ず私の著書が渡されるため、私のことについてなら話しやすいと思ったからです。
 ここで、「ほめる」演習だったらどうでしょう。とてもやりにくいと思います。父親のような年齢の、どもる人の会を創立した私をほめるのは難しいです。ところが、他者貢献となると違います。予想通り皆さんは、「このような会を作って下さったから、私はこの会に参加できた。ありがとうございました」「吃音についての本を書いて下さったので、正しい吃音の知識が得られました」と私の他者貢献を話して下さいました。とてもうれしいことでした。でも、息子のような大学生から「あなたはえらいね」とほめられても、くすぐったい思いがするだけだったでしょう。

 次は、私がこの日初めて出会った人の番です。彼は、大阪吃音教室に参加するのはこの日で2回目でした。私は、彼が私に、このグループに、また社会に、どう貢献しているか全く分かりません。
 「一人でも多くの人が参加して下さることや、新しく参加して下さる人がいると、私たちはうれしいし元気が出ます。新しい人の参加は新鮮な感覚で考えられるから、あなたの参加はとても私たちに貢献しています。また、あなたの笑顔は、この吃音教室の人たちが安心してここにいてもいい、いい雰囲気を与えて下さっています」
 私がこう言った後、次の人が話す前に彼は、「ちょっと皆さん、言いにくいだろうと思いますので、少しだけ自分のことを話します」と言い、「私は、ギャンブル依存症でしたが、その人たちのグループで回復しました。そして、今長年苦しんできた吃音についても向き合おうと、この教室に来ました」と発言しました。見事です。単なる自己紹介でなく、また長くもなく、一言二言で自分を語れることに敬意の気持ちをもちました。
 こんなふうに自分を少しでも語って下さると、その人の他者貢献がみんなにも見えてきます。それぞれがとても温かいメッセージを伝えていました。
 次は、滋賀県から高校一年生の男の子と参加したお母さんです。「私も少し話します」と、これもまた見事に短く、「3人の子どもを育てて、高校一年生の息子が吃音に悩んでいる」と話しました。その一言のことばから、その人の他者貢献を考えました。ある人は、「思春期の難しい年頃の高校生をこの教室につれてこられたことで、高校生も頑張っていると勇気づけられたことは貢献です」と発言しました。
 次が、臨床心理学の学生です。卒業論文で吃音の研究をするために、協力を求めていた人です。それに応えた人が、研究の説明の中で新しい知識が得られてうれしかったと貢献のメッセージを伝えました。また、吃音の研究で吃音の理解につながる社会貢献を伝えた人がいました。
 最後の人も、「今はやめているが、介護の仕事をしていた」と少し話しました。彼は、グループの輪の中ではあまりどもりませんでしたが、彼は普段かなりどもり、一時何を言っているのか分からないほど、どもることがありました。それだけどもりながら一所懸命話すことは、参加者にとても勇気を与える他者貢献だという話も出ました。また、介護の仕事に対する社会貢献もです。
 初めて出会い、何も知らない人がメンバーであっても、「ほめる」と、「他者貢献」に注目することの違いを、学んだのでした。
 いわゆる「ほめる」と、アドラーの言う「勇気づけ」と、交流分析でいう「プラスのストローク」は、共通する部分もあり、その区別は難しいと感じる人もいるでしょう。しかし、アドラー心理学や私たちが大切にする対等性をしっかりと考え、それが身につけば、混乱しないと思いました。
 全く初めての2人、ほとんど話したことのない2人と「他者貢献」について演習できたのは、私にとってラッキーなことでした。

 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二