オナラは吃音と共に生涯の友


 読者の皆さんのひんしゅくをかいそうなので、書こうかどうか迷いましたが、私を知っていただくいい機会なので、思い切って書くことにしました。

 白内障手術の入院中、少し困ったこととして、「名前の確認」のことを書きました。病院では本当に名前確認が多くなりました。それもちょっと困ったことでしたが、私にはもうひとつ困ったことがあります。
 オナラです。人の50倍ほどは、いやもっとかもしれません、オナラが出るのです。これは体質的なもので、中学2年生頃からオナラには悩んでいました。中学2年生の時、クラス全員が担任教師に叱られて、体育館に30分ほど座らされたことがありました。30分ほど経ち、教師がそろそろ許そうと向かって来たとき、私の大きなオナラが出てしまい、みんながどっと笑ったために、さらに20分正座させられたことがありました。その時、クラスのみんなからすごく怒られました。
 それから、オナラ恐怖症になり、ずいぶん悩みました。出してはいけない場面になるほど、不安になり、その結果か、却って出てしまうのです。そのことについて病院で検査もしましたが、体質だから仕方がないとのことでした。医師から「出るものは仕方がない」とお墨付きをもらいましたが、思春期の私には、それではというわけにはいきません。上の口ではどもり、下の口はオナラと私は、ふたつの口の不安恐怖症に悩まされたことになります。

 21歳の夏、吃音の悩みから解き放たれると同時に、オナラの悩みからも解放されました。吃音を治すために、上野の西郷さんの銅像前や山手線の電車の中で、どもりながら演説したことを思えば、人前でオナラをすることくらい、どうということはありません。いつからか、オナラ不安恐怖症は消えました。人前で平気でどもるようになったと同時に、人前で平気でオナラをするようになりました。それから、結婚式では、和やかになったと許されたものの、お通夜の席ではひんしゅくをかうなど、オナラにまつわるエピソードはたくさんあります。

 エンカウンターグループでのセッション中のオナラについては、機会があれば書きたいと思いますが、今回は、手術中に、オナラが出ないか、心配でした。
 オナラごときで手術の手元は狂わないものの手術をしてくれる医師、関係者に失礼です。出そうになった瞬間、必死でオナラをこらえました。マッサージをしてもらっている時もこらえますが、今回も必死にこらえました。8分ほどの手術時間が幸いしました。なんとかこらえきりましたが、病室では思い切り出しました。個室にしておいて、本当によかったと思いました。
 白内障の手術で改めて、吃音とオナラは生涯の友だと実感しました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2011年9月10日