吃音が世界に伝えられた日

 今日は、アカデミー賞授賞式をちらちら観ながら仕事をしていました。私はかつて、映画少年、映画青年でした。父親が洋画好きで、「ターザン」映画をみてから、ゲイリー・クーパーやジョン・ウェンの西部劇を、さらに、波止場など1950年代から1960年代の映画はほとんど観ているほどです。バート・ランカスターが一番好きな俳優でした。家が貧しかったのになぜ行けたのか。父親のコレクションの記念切手を勝手に売ってはそれが映画代に化けていました。吃音に深く悩んでいた時代、映画が唯一の友でした。中学時代は、警察に時々捕まり、何度も教師に補導されました。高校時代は国語の音読が怖くて、学校へ行けずに、映画館で過ごしたこともありました。しかし、忙しくなって、最近はほとんど映画館に行けなくなりました。アカデミー賞にも関心が薄くなりりました。

 今年は、胸をどきどきさせながら、そして、主演男優賞、作品賞に「英国王のスピーチ」が決まったとき、思わず涙がでて、拍手をしていました。玄人ぶりたい映画評論家には、「英国王のスピーチ」はそれほど高く評価されていませんでした。だから、授賞式のコメントをする人は、これは、「大衆賞」だと言う人さえいました。映画の専門家なら、違う作品に投票すべきだというのです。昨年のアカデミー賞を知らないのですが、立体映画、3Dの「アバター」だったのでしょうか、それの揺り戻しだと言った人がいました。「保守的」だと「英国王のスピーチ」の作品賞受賞に否定的でした。
 このように中東情勢が緊迫し、とても不安定な、大変な時代だから、オーソドックスな「英国王のスピーチ」が選ばれたことを私は評価しています。もちろん、吃音が正しく、まっとうに描かれていたからですが。吃音の私たちが認知された気持ちにさえなりました。脚本賞では最高年齢たという、デヴィト・サイドラーは、受賞の挨拶で、吃音が認められたというようなスピーチをしていましたし、監督賞の若いトム・フーバーも、母親からこの作品を監督しなさい言われたエピソードを紹介し、吃音に触れていました。主演男優賞のコリン・ファースも誠実なスピーチをしていました。アカデミー賞の授賞式という、吃音とは対局にあるように華やかな舞台で、吃音ということばが聞くことができるのは、おそらく、最初で最後のことでしょう。
 作品賞、主演男優賞、監督賞、脚本賞の主要部門を独占しました。映画のプロを自認する人よりも、大衆の感覚が受賞に押し上げたのでしょう。

 映画は吃音に苦しんでいた時の私の唯一の救いであったし、未来への希望でもありました。映画技術や、斬新な監督術ではなく、奇をてらうアイディアではなく、人間の真実と、誠実さを描いた作品が、吃音がテーマの作品が、主要部門を独占したことは、本当にうれしいことでした。この受賞を機会にもっと多くの人にこの作品が観られ、吃音の理解が少しでも広がればと願っています。評判がいいからみたが、たいしことがなかつたと言う芸能人がいました。その人たちと違って、あの作品に、たくさんのメッセージが込められていることが、感じられたのは、やはり私が吃音に深く悩んできたからでしょう。
 ジェームス・デーンの「エデンの東」を映画を40回以上観て、同じ場面で毎回大泣きした感性が再び戻ってきたような感じがします。悩んできたからこそ、多くのことを感じ取れる。これも吃音の悩む力だと感じたのでした。仕事が一段落しましたので、前よりは少し時間がとれるようになりました。これからまた、映画館に通い、映画老人になろうと強く思ったのでした。
 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二