一緒に降りていく聴き方
 

 私はかなり長い講演でも、ほとんどレジメのようなものはつくりません。つくっても、どんどんかわっていくからですが、今、ここに生きたいとの思いがだんだん強くなってきているからだろうと、自分を正当化しています。
 10年ほど前、竹内敏晴さんが私の話しことばを壊して下さる前、人前ではほとんど吃らなくなっていたころのことです。準備をあまりしていないのに、私の話したことを、テープ起こしをして下さると、理路整然として、起承転結があり、ひとつのまとまった原稿のようになっていました。いくつもの講演記録が冊子となっているくらいです。

 竹内敏晴さんに「ほらんばか」という、恋人を狂気の末に殺してしまう青年のお芝居の主役をさせてもらったとき、その稽古の過程で私のことばは壊れました。それから、人前でもかなり吃るようになったと同時に、講演でも、理路整然とした話ができなくなりました。 
 私としては、それはとてもよかったことだと考えているのですが、吃音の話ならともかく、自殺防止のための「こころの電話」のカウンセラーの研修会の話ですから、行き当たりばったりでは、失礼です。初めてといっていいくらい、珍しくレジメをつくりました。
 つくったのですが、話はやはりどんどん脱線していきました。でも、聞いて下さった方達が、興味をもって聞いて下さったので、まあいいかと、自分で慰めています。
 私が言いたかったことの中心は、上手に降りていくための、聴き方です。
 死にたいという気持ちをもつ人は、登山で言えば山を下るプロセスにある人だと私は思っています。現代の日本は、「うつの時代」だといわれて久しいのですが、ますますその傾向が強まっていると私には思えます。

 私が生きた青年時代。新幹線が走り始め、東京オリンピックがあり、しばらくして、大阪万博がありました。所得が倍増し、今の中国のように右肩上がりで経済成長した時代でした。「そう」の時代でした。
 
「幸せだなあ、僕は君といる時が一番幸せなんだ」の加山雄三の歌が、若者達を浮いた気持ちにさせました。一方できびしい現実を生きる、「若者たち」の映画、歌がはやりました。少しの不安があっても、みんなで山をのぼっていたのでしょう。

 日本は、世界第二位の経済大国になり、山頂まで登り詰めました。もう、十分です。下山しなければならないのです。それをいつまでも政治の世界では、民主党には成長戦略がないと批判がなされるなど、山を下りたくない人がいます。成長戦略など全く必要ないのです。中国の経済成長をうらやむのではなく、私たちは、山を下りる覚悟と、実際に下山をしなければなりません。下りながら成熟していけばいいのです。
 
 「こころの電話」に電話をかけてくる人達は、山を下りつつある人だと思うのですが、その電話をとる人が、勝間和代のように「努力すればできる」「あきらめてはいけない」「やってやれないことはない」と考える人で、「がんばって」と励まされたら、たまらないでしょう。
 一緒に降りていくことを考える人であって欲しいというのが、私が一番話したかったことのように思います。

      2010年4月4日 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二