大阪セルフヘルプ支援センターのつき合いから

2009年11月20日
 大阪府立大学に行ってきました。

大阪府立大学の松田博幸さんとは、大阪セルフヘルプ支援センターの第1回のセミナーからのつき合いです。毎月一度の例会、そして、信貴山での合宿、毎年行われるセルフヘルプグループセミナー、当番制の電話相談、いろんな活動を一緒にしました。一冊の冊子と、本も作りました。大切に考えていた活動でしたが、私が忙しくなり、毎月の例会に行けなくなり、電話当番もできなくなり、活動から離れていきました。

 中心的に活動していた人が様々な理由で活動できなくなる中で、ずっと支援センターを支え続けて下さったのが松田さんです。私は、心から敬意と感謝をしているのです。
 その松田さんがご自分の講義の中で、<当事者の声を聞く>として、何人かのセルフヘルプグループにかかわる人をゲストとして招いています。私もその中の一人として、毎年この時期に、大学に話をしに行きます。学生達に何を学ばせたいか、松田さんの意図があるでしょうから、話は対談形式にして、松田さんの質問に私が答えるというスタイルにしています。今年は、どうしても話したいことがあったので、15分ほど話して、後は質問に答えることにしました。
 私が話したいと思っていることを的確に質問して下さるので、今回も楽しく、気持ちよく話をしてきました。
 どうしても話したかったことは、詳しくは言えませんが、「どもりを治そう」という動きが、日本で、世界で強まっていることに対する危機感です。
 なぜ私たちは「治される」存在であり続けなくてはいけないのか。セルフヘルプグループの役割は、吃音を治すことではなく、どう生きるかを考えることではないか、「どもりがどもりとして、そのまま認められる社会」の実現を、少なくとも、大阪や神戸のセルフヘルプグループは考えているというような内容でした。

 明日から、横浜相談会、新しい本の制作のための合宿、鎌倉のことばの教室での、保護者・担当者への講演、講義と続きます。忙しい毎日です。以前、大阪セルフヘルプ支援センターのニュースレターの巻頭エッセーとして書いた文章が、偶然にみつかりましたので、ご紹介します。


ノン・アグレッシブ 
             
 アメリカの世界的ミュージシャン、スキャットマン・ジョンが生前、ドイツの人気トーク番組に出演することになり、私たちに吃音の問題を世界に理解してもらういい機会だと、何を言えばいいか尋ねてくるなど、意気込んでいた。しかし、とても不本意な結果になったらしい。「司会の質問を遮ってでも、アグレッシブに吃音についてもっと説明すればよかった」と、しょげ込んで、国際吃音連盟の私たちにお詫びのメールがきた。そのとき私は、「アグレッシブにならなくてよかった。吃りながら、吃る人間としての、あなたの優しい、誠実な姿が映像として放送されたことの方がずっといい」と私は返事をした。ジョンは、「吃音の悩みや、吃音の問題を理解して欲しいとの気持ちがあまりにも強く、アグレッシブに主張すればよかったと、反省し、後悔していたが、ノン・アグレッシブや誠実さの大切さを改めて気づかせてくれて感謝する」とメールがきた。
 今、国際吃音連盟は大きく揺れている。1986年私が第一回の世界大会を京都で開いて、3年ごとの世界大会を繰り返し、現在は45か国ほどが参加する大きな組織になった。大会中の理事会の後は、インターネット上でのやりとりが中心になる。うまく行っているときは、友好的なメールのやりとりで、異文化のコミュニケーションの難しさも、同じような体験をもつ、セルフヘルプグループの仲間だとうまくいくものだと思っていた。しかし、ひとたび大きな問題が起こると、やはり、自分が正しいとの強い主張が始まり、そのメールのやりとりは、どんどんアグレッシブになっていく。
 その状況を打開したいと、スキャットマン・ジョンとのエピソードを交えて、互いに、間違いは間違いとして認め、謝罪して前に進もうと提言した。しかし、謝罪は敗北だと信じる文化の国では、とうてい受け入れられないことらしい。双方に悪い点があるのだから、互いが謝罪すれば、一歩進めるというのは、日本人の思い込みらしい。
 日本では、よく3人ほどがカメラの前で頭を下げているシーンを見かける。ただ形だけ謝って、ことをうやむやにしようとする、謝罪文化の日本にも大きな問題があるが、絶対に謝らないというのも、問題だ。寛容の精神が失われれば、世界的規模で活動する、セルフヘルプグループの活動は、崩壊してしまうだろう。第一回の世界大会開催国として、敬意を表されている日本の、調整役としての役割は今後大きくなりそうだ。


                        日本吃音臨床研究会 伊藤伸二