吃ってはいけない場面などほとんどない  
  
 先週の不安と恐怖に続いて、「吃って声が出ないときの対処」も私の好きな講座です。
 参加者の発言によって、講座はどんどん変わるので、毎回新鮮です。
 参加者の中に、メモをとって下さるありがたい人がいて、今回もそのメモをたよりに自分なりの報告です。
 
 まず、「声がでないで困る時」を参加者に出してもらいました。
 ・大勢の会合で名前だけを言うとき、
 ・電話
 ・人前で話すとき
・映画のキップや食堂で好きなものを注文するとき
 このほかたくさん出ました。

 いつでも、どこでも吃りたくないと言われても、それは無理な相談です。吃ってもいいところと、吃りたくないところを区別をする必要があると提案しました。
 例えば二度と会わない人の前で吃る場面など、吃っても我慢ができることは捨てていくのが賢明です。
 私は、人前で話すときでも、電話で話すときでも、吃って困ることはまったくありません。吃って当たり前と思っているから、必要な時は、どんなに吃っても話します。だから、声が出なくて「困ることはない」のです。ただし、私が「困ることはない」と考えていることを、実は多くの人が困っているのです。
 どういうことでしょうか。
 私は「伊藤」と数字の「イチ」てばほぼ確実に吃ります。声が出ません。だから、通信販売などで、名前と、住所を言わなければならないときが、「吃って声が出ない」時といえるのかもしれません。だけど私は困りません。「イイイイ・・・」「・・・・イ」「イートウ」などで何とかしのぎます。住所の数字の「イチ」でも難発(ブロック)の状態になります。それでもなんとか、言わなければならないので言います。
 当然吃らない人なら、10秒ほどで言えるとしたら、私は30秒か60秒かかります。それでも何とか言うことができて、無事に注文した品は届きます。ただ、時間がかかるだけのことです。また、電話の向こうの相手とは、生涯、会う可能性はありません。
 こんな場面は、食堂の注文でも同じです。その食堂に二度と行くことがないかもしれません。私は、民間吃音矯正所・東京正生学院に通っていたとき、早稲田大学の近くにあった、鶴巻食堂で「アジのからあげ」が食べたかったのですが、ついに食べることが出来ませんでした。その食堂には何度も行く必要があったからでしょう。いや、当時は、どんな所でも吃るのが嫌だったので、常に逃げていました。
 ただ、最寄り駅の「高田馬場」のキップを買うのは避けられません。弾みをつけたり、時には紙に書いたり、いろいと試みてしのぎました。
 ます。とにかく、どんな場面でも吃りたくなかつたのです。それでは、吃音と共に生きていくのが大変です。
 どの場面でも同じように「吃りたくない」と思うとつらくなる。どうでもいいところは、吃ってもいいと、吃りたくない場面をどんどん捨てていき、優先順位を決めていくのです。最後に残った場面だけ、吃つた時落ち込むのです。他の場面では落ち込まないと、決めると楽になります。そして、不思議なことに、優先順位を決めると、どんどん捨てていくことができるようになります。そして、結局は、どもってはいけない場面など何一つなく、吃りたくないという思いも軽くすることができます。
 
 学校の先生が卒業式の時、卒業生の名前が言えない、吃りたくないと悩みます。仲人を引き受けた人が、新郎新婦の名前が言えないと不安を持ちます。これらは、吃ってはいけない、吃りたくない場面の典型的な場面でしょう。そのような場面でも、吃っても何の問題はありません。そう考えられればいいですね。
 私はそう考えています。しかし、矛盾するかも知れませんが、寿司屋で「トロ」や「たまご」がいえません。まあいいかで「マグロ」など言いやすいものを注文しています。どうでもいいようなところは、どんどん逃げてもいいじゃないですか。逃げるのもありですよね。だけど、 大事なこと、本当に必要な時には、絶対に逃げませんよ。・

  「吃って声が出ないときの対処」となると、なんとか吃らずに声がでるようにすることと、思われるかも知れませんが、決してそうではありません。
 「どんな手を使ってでも生き延びる」。サバイバル術を工夫して身につけようということです。どうしても言わなければならないときには、どんなに吃ろうと、「吃ってもいい」と、吃ること。しかし、それほど大したことのないところでは、サバイバルして切り抜けるのです。

 「声が出ないときにはどのようにして切り抜けていますか?何か工夫はありますか?」

 いろんなアイディアが出されました。
 ・ 名前が出ないとき、言いやすい、自分の住所を前につける。
  このような場合、、緊急時に備えて、言いやすくてかっこいいことばをレパートリーとして持っておくことがいいですね。

 ・ 手をふるなどの動作をつける
 一発勝負しないといけない時のために、それ以外の時は、そこまでエネルギーを使わなくてもいいけれど、手をふったり、指を折ったり、普段からジェスチャーを豊かにしたほうがいい。相手に向かっていくためのアクションとして考えたらいい。随伴症状ではなく、随伴行動を、豊にレパートリーとしてもっておくのです。
 
 その他、いろんな対処方法が出されて、とてもいい時間でした。
1.アクション使う(目立たない、かっこいいもの)
2.言いやすいことばをつける(「えーと」「ん」など)
3.音色(声のバリエーション、クレヨンしんちゃんの声なら言える。裏声など)
◎普段から声を出すことを意識して練習する。
4.母音を常に意識する
 竹内敏晴さんから学んだ、「一音一音、母音をつけて丁寧に話す」を心がける。
 自分なりのゆっくりさを身につける。
5.リズム(自分なりのリズム)
 日常生活で声を出すことを取り入れる。歌を大きな声で歌う。講談、落語、詩吟など声を出す教養を身につける。好きな小説を一日10分でもいいから声に出して読む。「声に出して読みたい日本語(斎藤 孝)」や谷川俊太郎の詩、新聞のコラム(天声人語など)を声に出して読むなどがだされました。

 最後に、「ありがとう念仏」のみんなの声が、大阪吃音教室の会場である應典院というお寺に響き渡りました。
 歌を歌ったり、声でいろいろ遊んだりした、楽しい時間でした。
 やはり、声を出すと気持ちがいいものです。
 
 こんな結論になりました。
「ことばのちから、音のちから、声のちから」
 声を出すことで自分のちからになり、生きるエネルギーになる。結局は、常日頃から声を出すことで、緊急避難の時にも普段の時にも役に立つ。
 吃るから声が出ないのではない。吃りたくないから声を出さない。吃ってもいいと思えば声が出る。僕らは吃るということを覚悟すること。吃って声がでない時の対処法は、吃ること。「この場面では吃ってはいけない」と自分で勝手に決めてしまわない。実際は吃ってはいけない場面なんてほとんどない。

 2009年11月14 日本吃音臨床研究会   伊藤伸二