11月13日の、香川での吃音のつどいについて紹介してきました。久しぶりに、成人のどもる人向けの話だったので、僕自身の体験を丁寧に話しました。僕の人生は、きれいに3つに分かれます。鬼は、小学2年生まで。どもっていても悩まず、困らず、明るく元気でした。挟は、小学2年生から21歳まで。吃音に悩み、話すことから逃げ、消極的に生きていました。郡は、21歳から現在。どもっていても豊かに幸せに生きています。どもるということは変わらないのに、なぜ、はっきりと分かれるか、そんなことから話を始めます。
 その中の挟、小学2年生の時の、吃音に悩み始めるきっかけとなった秋の学芸会でのできごとは鮮明です。僕に与えられたのは、3人で声をそろえて言う短いせりふでした。学芸会の大きな舞台で「どもったらかわいそう、どもらないようにしてあげよう」と、今でいう合理的配慮ともとれる担任の対応でした。この教員の配慮に僕は大きく傷つき、それまで意識しなかった吃音に強い劣等感をもつようになりました。学芸会が終わったころ、僕は、無気力でおどおどした、全くの別人になっていました。
 そこから僕と舞台・劇の因縁めいたつながりが始まるのです。その舞台・劇にひとつの区切りをつけたイベントが、今日、紹介する「どもる人のことばのレッスン〜公開レッスン&上演〜」です。1998年の11月23日、ちょうど今から24年前のできごとでした。そのときの舞台の感動は、今でも忘れることができません。
 特集号の巻頭言から紹介します。(「スタタリング・ナウ」1998年12月19日 NO.52)

ひとりひとりが主役
                日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「さようならぁー亀」
 小学校の2年生の秋の学芸会。村人数人で声を揃えて言ったこのセリフは私の頭から離れない。学芸会はどもりに悩むきっかけになった私の原風景だ。あの当時、成績のいい順にセリフの多い役が決まっていた。どもってはいたが、成績がトップだった私は、ひそかに浦島太郎になるか亀になるか楽しみにしていた。しかし私に与えられたのは数人で声をそろえて言う、このセリフだけだった。
 「何故僕はセリフのある役を外されたのか?」どもることを初めて意識した。どもるのはいけない恥ずかしいことだと強い劣等感をもってしまった。
 学芸会の稽古が始まってから、学芸会の当日までの間に、私は明るく元気な子どもから、暗く、いじけた全く別人になっていた。いじけた私にからかいやいじめが始まった。「どもりのくせに偉そうに言うな!」。ケンカをすると必ずこのことばが浴びせられ、ますます自信を失っていった。発言しない、人前に立てない人間になっていった。私のどもりの旅はこうして始まったのだった。
 今年の夏は東京で、秋は名古屋で『ほらんばか』という芝居の、セリフの多い狂気の青年を演じた。6月からの竹内敏晴さんのきびしい稽古に導かれて、夏の終わりに舞台を終えた時、ことばに言い表せないほどの充実感が私を包んだ。これは、学芸会でセリフのある役を外されたことで悩み始めた、私のどもりの旅の一つの終わりを意味した。
 こうして私の旅はひとまず終わったが、この体験を私だけのものにしたくない。秋に予定されていた3日間の竹内さんのレッスンを、私と同じような体験をしてきたどもる人たちの「公開レッスン&上演」とできないか。竹内さんにお願いしたが、「うーん」と稔って良い返事をいただけなかった。1日半の稽古で舞台に立たせるのは、構成・演出の立場からは、当然なのだ。それでも、なんとか大阪のどもる仲間と舞台に立ちたかった。
 結局、お忙しい中、やりくりして本舞台の2週間前にも2日稽古日をとって下さり、どもる人が大勢の観客の前で舞台に立つことが実現した。
 稽古の途中で配役も変わり、新たな台本が渡され、配役が確定してからの3日間。24名の出演者は、竹内さんに魔法をかけられたように役に集中していく。会場の舞台構成、照明のテストを繰り返すうちに、みんなプロの劇団員になったようで、うきうきし、祭りの中心にいる華やかさと喜びがあふれていた。
 上演当日。予想をはるかに上回る入場者。高まる緊張の中で、ひとりひとりが輝いて、稽古のときよりも一段と声が、動きがはちきれる。みんな見事だった。観客も予想外の出来だったのだろう、興奮しながら「プロ顔負けの芝居だった」と何人もが言って下さった。たくさんのアンケートが回収され、その全てが温かい声にあふれていた。
 本舞台は、観客と一体となって歌を歌い、からだを動かし、あっと言う間に終わったが、感動は直後の打ち上げ会で最高潮となった。
 ひとりひとりが自分の体験を自分のことばで語り、その後に何人もがその人への感想を言う。それが実に細かい5日間の変化や舞台を見ているのに驚いた。私は、これまで竹内さんの公開レッスンの舞台を3度経験し、打ち上げ会も3度目だが、そのどれとも違う温かなものが流れていた。本来、公開レッスンはひとりひとりが主役で、ひとりひとりが自分の課題に取り組み、舞台で輝けば良い。誤解を恐れず極端に言ってしまえば、他人のことなどかまっていられないのだ。
 大阪での舞台は、ひとりひとりが、他の出演者のひとりひとりをみつめ、みんなが一緒に輝こうとしていた。良かったところ、まだ課題として残るところを遠慮なく出し合い、ドジをすると自分も笑われるのを覚悟で遠慮なく声を出して笑う。それが常にいい雰囲気を作っていた。
 ひとりひとりの動きをみんながよく見、その変化を我がことのように喜び、それを口にした。打ち上げ会でひとりひとりの他者へのコメントは、しっかりと見ていないと出せないものばかりだった。24名の仲間とのこの経験は、何物にも変え難い宝物となった。
 今回もまた、どもりで本当に良かったと思った。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/11/22