どもって声が出ないとき
大阪吃音教室の例会は、幅広いテーマで学び合いますが、この「どもって声が出ないとき」のテーマは、僕の大好きなテーマです。どもる人の、したたかな、しなやかなサバイバル術を共有できるからです。
まず、僕の考えていることは、どんな手を使ってもいいから、人に伝えよう、関わろうということです。
どもりは治りません、治せません。
だから、どもりながら話していくことになります。どもって声が出ないときどうするかは、どもる人は常に対策を考えておいた方がいいことです。
どもりを治すため、克服するためには、どんなにどもっても、言い換えや、どもらない工夫はすへきではないと、アメリカ言語病理学のある本で読んだことがあります。また、どもりを認めて、どもりを受け入れているのなら、どんなにどもってもどもり続けるべきだとの考えがあるかもしれません。しかし、僕たちは、柔軟に考えています。
「どもるもよし、どもらないのも良し、逃げたくなったら時には逃げるのも良し、強行突破でどれただけ時間がかかってもどもり続けるのも、また良し」。「吃音と共に生きる」とは何でもありなんです。基本的には、自分を、相手を、仕事を、人間関係を大切にしていれば、どんな表現でもいいと思っています。
「たまごから 鶏卵・エッグと 七変化」
この読み札がどもりカルタにありました。ある音が出なくて困ったとき、言い換えをする。どもる人でことばの言い換えを絶対にしないという人はおそらくいないでしょう。どもる人の悩みに、「とっさに言い換えた言葉が、本当にいいたかったことではない、吃音を受け入れているはずの私が言葉を言い換えるのは結局どもりたくないからだ。それは吃音を否定していることだ」と考えてしまう人がいます。
ことばの言い換えを「どもりたくないから、ごまかした」のだと、自分を責めるのです。
言い換えることで、コミュニケーションが成り立つのなら、いいかえたらいい。それを「ごまかす」とは言わず、「サバイバル」だと僕たちはいいます。
どもりそうだ、声がでそうにない、その時に言い換えることができるなら、言い換えればいい。言い換えができない、固有名詞なら、どもるしかない。ただそれだけのことです。
でももうひとつ、みんなが自然にしているサバイバル術があります。「エート」や、言いやすいことばをつけて勢いでいったりは、みんなが普通にしていることです。それは。どもりをごまかすと考えず、サバイバルと考えると楽しくなります。日本語はそれがとてもできる言語なのです。
平田オリザさんの「わかりあえないことから、コミュニケーション能力とは何か」(講談社現代新書)には、日本語を話す人の、コミュニケーションについて、とても本質的で、僕たちにとって実用的な知恵が詰まっています。
日本語は、言い換えがとてもしやすい言語だ、この本を読んで思いました。
・「アノー」などの間投詞をつけてもいい。
・言いやすい主語を入れてもいいし、言いにくければ省いてもいい
・言いにくければ、いくらでも語順を変えることができる。
・強調することばをくりかえしてもいい。
・言いやすいことばを、どみもりそうな言葉の前につけても、意味が伝わるようにできる。
昨年6月のオランダの世界大会で、海外の人たちがとてもどもっていると感じたのは、日本人よりも、言葉を言い換えるのが難しい言語のせいかもしれないと思ったものでした。必ず主語を入れなければならないし、語順も日本語のように自由自在にかえることができない。どもって声が出ないとき、どもるしかないのです。
僕たちは、日頃言い換えたり、語順を変えたりしていることに、罪悪感や、劣等感をもたずに、むしろ、言い換える技術は、言葉を豊かにして、一テンポ遅らすことが、絶妙の間となっていきてくることがある、と考えることができます。言い換える技術が実は大きな力を発揮できることを次回に書きます。
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/01/25